Vol. 2 (2017年9月発行)
―― まず、先生方がご担当されているプロジェクトの概要についてお話しいただきたいと思います。
窪薗私のプロジェクトは「対照言語学の観点から見た日本語の音声と文法」という大きなタイトルがついています。基本的なスタンスは「日本語を外から見る」というもので、他の世界の諸言語と比べて日本語がどういう特質を持っているのかという観点から、日本語がどういう言語かを明らかにしようとしています。また、その成果を海外に発信して、日本語の研究が世界の言語研究にどのように貢献できるかを模索したいと思っています。
木部私のプロジェクトは、「日本の消滅危機言語・方言の記録とドキュメンテーションの作成」です。いま、各地の方言がなくなりつつありますので、できるだけ方言をたくさん記録しています。録音をとることもありますし、次世代の人が分かるように文法を記述して、それから辞書を作るなどしています。
また、言語がなくならないように地域の人にもっと使ってもらおうという活性化の仕事もしています。記録に残るだけではなく、子どもたちが生きた言語を使うということが理想ですので、そういうふうになるように地域で活動しています。
石黒私のところは、「日本語学習者のコミュニケーションの多角的解明」です。日本語を勉強する人、多くはいわゆる外国の方ですけれども、そのような人たちが普段どんな日本語を使っているのか。日本語でも、勉強し始めたばかりの人とすごくたくさん勉強した人ではずいぶん違うでしょうし、漢字圏である例えば中国の方と非漢字圏の方とでは、学習の仕方も違います。また、それぞれ読む・書く・聞く・話すとあって、あるものが得意な人も、あるものが苦手な人もいます。いろんな環境で日本語を勉強している人たちの言語の運用能力を調べて、それを教育に役立てていこうというのが、私のプロジェクトの目的です。
―― それぞれどのような背景があって、そのプロジェクトを始めようと思ったのでしょうか。
窪薗日本語の研究は歴史もあって、特に音声の研究は、世界的に見ても非常にレベルが高いんです。ただ、他の諸言語と比較して日本語はどういう言語なのかという観点が、決定的に欠けていると思います。
その視点がないと、世界の言語研究に日本語がどのように貢献できるかも分からないわけです。そういう観点からプロジェクトを始めたのが2010年です。私が昨年から始めた「プロソディー」班は、アクセントとイントネーションの研究が中心となりますが、「対照言語学」プロジェクトにはその他に「名詞修飾」「とりたて構造」「動詞の意味構造」という3つの班があり、普段はそれぞれが半ば独立性を保ちながら研究を進め、最終的にそれらを一同に集めるという形にしたいと考えています。
木部日本だけではなく世界中でマイナーな言語が消滅に向かって進んでいます。このことは、今から40年ぐらいも前から言われてたんです。
日本では標準語(共通語)に対して方言がマイナー言語になるわけです。また、日本の中ではアイヌ語と琉球語が少し特別な位置にあって、これらはとても話し手が少なくなって、存在が危ぶまれている言語です。
そういった言語は、昔から話し手が少なくなっていくと言われてはいたのですが、2009年にユネスコが世界の消滅危機言語の地図を発表したことが直接のきっかけになって、もう少し組織的にそういう言語を守りましょう、記録しましょう、もう一回活性化しましょうという活動が行われるようになりました。
石黒もともと日本語教育という分野は、日本語を教える先生が中心となってけん引して学習者の言語を見てきた歴史があります。それはそれでもちろん素晴らしいことで、教師の視点は欠かせないと思いますが、やはり教師の目にはある種の限界もあります。
例えば、目の前の学習者の誤用が非常に印象的なので、ある現象を過度に一般化することがあります。これを考えるには、学習者が実際に話している生のデータを見ることが非常に重要です。量的に見ていくことで、学習者がどうしてそうした誤りをおかしてしまうのかを偏りなく知りたい。そういう生のデータをたくさん集めてくることが、国立国語研究所ならではの研究だと思います。
また、教師の視点と、もう一つ学習者の視点というのも明確に持って、車の両輪のようにして走らせていくと、より具体的なほんとうに学習者の日本語の習得に役に立つ研究になるんじゃないかなと思ってこのプロジェクトを始めました。
―― ありがとうございます。それでは次に、実際に調査をされる際にどのようなフィールドで、どのような体験をされたか、お話を伺いたいと思います。窪薗先生からお願いします。
窪薗私は基本的に自分の故郷の鹿児島県、あるいは最近では宮崎のほうで、個人的な人脈を使ってインフォーマントを見つけてフィールド調査をしています。
たまたま調査したインフォーマントが自分の友だちの友だちだったり、昔の恩師の兄弟だったりして調査以外の話もできたりするのが面白いところです。また、調査の合間に、昔はこうだったといった、その村の生活をいろいろ教えてくれるので、言葉を考える上でもとても参考になりますね。どの村とどの村が交流があったなんていう話を聞くと、言葉の類似性と結びつけることができて面白いと思うときがありますね。
―― 世界の言語と日本語を比較する研究をされていて、方言の点でも比較することはあるのでしょうか?
窪薗もちろんそうです。私にとっては標準語も、地域の方言っていうのも全く等価なので、標準語も一つの方言に過ぎないわけです。ところが地方の方言の中にはまだ調査が十分でないところ、あるいは調査がされていてもその成果がまだ知られていないところが多いんです。ましてや海外には全然伝わっていません。ですから私が海外で発表するのはほとんどそういう地域の方言です。海外の人たちは、日本語イコール標準語と考えていますから、そんなに面白い体系や現象があるんですか、日本語はほんとに多様ですねという反応が返ってきます。
木部私のプロジェクトには60人位メンバーがいて、毎年1、2回の合同調査をやるんです。今まで一番多かったのは40人を超えたときで、宮古島に行ったんです。40人のときは大変でした。一緒に集まるということは、まず言語や方言をどういうふうに書き取り、文法的に記述するかという共通理解をみんなで形成しておかなければいけないわけです。
この地域は初めてだっていう方もいると、お互いに「これどうやって書くの?」と聞き合います。「こんなこと言ったんだけど、これはどこで語と語が切れるのかな」とか話し合いをやるわけです。そうすることで「同じ釜の飯を食う」というコトバがほんとにぴったりくるような感覚になります。もちろん感覚的なものだけでなく、学問的にお互いに意見交換しています。それがとっても、自分にとってもみんなにとっても良かったなと思っています。
―― 次世代に伝える方法のお話をもう少し詳しくお聞かせください。
木部地域の言葉を子どもたちに伝えることが重要です。そのために今、言葉をどうやって「展示」しようかと考えているところです。方言だとか地域の言語は、そもそも文字で書くということを前提としてないので、基本は展示というと文字ではなくて、音声を展示するってことになるだろうと思います。以前、私はボタンを押したら方言が出てくるっていうシステムを作ったことがあるんですけども、それはわりと分かりやすい典型的な展示のパターンですね。
また、発音を文字で書いて、その文字をデフォルメして、それが絵になっているというようなことをやっている人たちがいます。秋にそういう展示を一つ行う予定です。それは、子どもたち向けというのもありますが、ちょっと遊び心があって、動物の絵、虫の絵だったりするんですけど、そこに方言の名前が隠れているというような展示を今企画してます。
石黒私は、去年は中国の地方都市のいくつか、ハルビンや青島、広州などに行って、現地の大学等で学ぶ学生を対象に調査しました。中国では外国語として日本語を学んでいる環境ですので、家に帰れば基本的に中国語環境なわけです。教室でしか日本語に触れることがありません。
ですから私たちが調査に行っても、目をきらきら輝かせていろいろ学ぼうとする感じがとても強くて、日本のアンテナショップを出しに行くようなそういう感覚でした。それで、日本で教えるのとは全然違うなということを感じました。
また、日本語の相対的な位置を考えるきっかけにもなりました。例えば外国語学部の中では、いろんな言語を学んでる人が一つの建物の中にいるわけですが、中国での学習の特徴としては、音読して、朗読して、理解しようということなんでしょう。みんな、廊下に設置されている椅子に座って思い思いに声を出し、スペイン語を唱えている人の隣ではロシア語を唱えている人がいるという雰囲気でした。
こういう環境の中で学んで日本に留学に来ていたんだなってことが分かったことが、とても新鮮で面白かった体験でした。
―― それでは最後に他の二つのプロジェクトにどのような期待をしているか教えてください。
窪薗木部先生のプロジェクトも、石黒先生のも、あるいは日本語の研究が全体にそうなんですけども、とても優れた研究が多いと思うんです。過去の蓄積もあります。それをなんとか世界の言語の研究と同じ土俵にのせて発信してもらいたいというのが、日本語の研究全体に対する希望です。
木部先生のプロジェクトについては、日本語の多様性はすごいものだと思います。他の世界の諸言語と比べても、アクセントや文法の多様性は顕著です。そういうところをしっかりと世界の人たちに発信していけば、さらにすごい研究ができるんじゃないかと思います。
(石黒先生が関わる)日本語教育の人たちに対しては、日本語教育で終わらないでほしいという思いがあります。英語教育や中国語教育などいろんな外国語教育があるわけですよね。それが日本国内でも世界各国でもなされているわけですから、世界の外国語教育と同じ土俵に立って、日本語教育から今度は第二言語習得などの研究に進んでいけば日本語教育の研究が世界の研究にものすごく大きなインパクトを与えるんじゃないか、そういう期待を持っています。
木部プロジェクト間でもう少し連携が必要だと思っています。例えば日本語学習者の話すことと似たようなことが方言にもあるんです。それはおそらく同じルールを自分の頭の中で作って、そして言語を運用しているからだと思います。そういうデータを共有して、似たようなことが起きているとか、似てるけどちょっとここが違うとか、地域の人も学習者も、いろんな人たちが似たようなことをやっているとすれば、これは言語の一般的なルールにつながるんじゃないでしょうか。だからそういうことがもっとできればと思っています。
窪薗今の点は、第二言語習得と方言ですよね。もう一つ、第一言語習得というのがあって、赤ちゃんの日本語の特徴と方言に出てくる特徴も実によく似ています。赤ちゃんの言葉にも方言にも、簡単な規則でやろうという力や、発音を楽にしようという力が働いているのだと思います。第一言語教育と第二言語教育と方言なんて、あんまり関係ないなと思われがちですが、よく見たらとてもよく似ていますからね。
石黒現在、国語研のコーパス開発センターでは、多数のコーパスを統一した方法で横断検索ができるような形にしようとしています。
例えば学習者は「病院」と「美容院」の発音が苦手です。「びょういん」という発音がしにくいらしいんです。日本語学習者の言葉を文字化し、それを日本語学習者コーパスに収め、横断的に検索できるようにすると、隣同士のものとして出てきます。そうした発音の問題が生じたときに、日本語教育研究領域には音声の専門家はいないのでいろいろ教えていただく機会があればいいなと思います。
また、今おっしゃった、第一言語習得と方言についてですが、日本語学習者の言語というのは、日本語の一つのバリエーションなんですよね。それもさまざまな母語によるさまざまなバリエーションを持っているある種の方言のようなものです。ですから日本語の変化を先取りするというか、留学生の使う言語の中に、ある種共通語の持ってるひずみみたいなものが反映されているような気がします。そうした点の連携っていうのは重要だなと私も言おうと思っていたところでした。
―― 一見それぞれ独立したプロジェクトに見えるものが、実はいろんなところで関わり合ってるということがよく分かりました。ありがとうございました。
聞き手●井伊菜穂子さん(一橋大学大学院生)
窪薗晴夫
KUBOZONO Haruo
くぼぞの はるお●理論・対照研究領域 教授。専門領域は言語学、日本語学、音声学、音韻論、危機方言。神戸大学大学院人文学研究科教授を経て、2010年4月から現職。
木部暢子
KIBE Nobuko
きべ のぶこ●言語変異研究領域 教授。専門領域は日本語学、方言学、音声学、音韻論。鹿児島大学法文学部教授を経て、2010年4月から現職。
石黒圭
ISHIGURO Kei
いしぐろ けい●日本語教育研究領域 教授。専門領域は日本語学、日本語教育学。一橋大学国際教育センター・言語社会研究科教授、人間文化研究機構国立国語研究所准教授を経て、2015年12月から現職