ことばの波止場

Vol. 5 (2019年3月発行)

研究者紹介 : 横山詔一

研究者紹介 012:横山詔一「受注生産方式の研究スタイルも悪くない。」

研究の道に進んだきっかけは?

不純な動機です。高校卒業までは「現代国語が好きじゃけん、大学を出たら中学校か高校の国語の先生になりたいのぉ。ほんで愛媛でノンビリ暮らすんじゃ」と考えていました。また、中学生のころから心理学にも興味があったので、横浜国立大学教育学部の心理学科に進学しました。

大学に入学して最初のオリエンテーションで、心理学科の先生が、クラス全員に「大学院に進学して心理学者になることを目指しなさい」と強くすすめてくださいました。その時に「心理学者になれたらカッコええきん、とりあえず目指してみよわい」と思ったのが、研究の道に進んだきっかけです。

研究のザックリとした履歴を。

大学院を1985年3月に出て、4月に上越教育大学に専任助手(学習心理学担当)として着任しました。そこの修士院生の一人が、単語の表記と記憶の関係について心理実験を行っているのを見て興味を覚え、一緒に研究させてもらいました。その結果、査読誌に論文が数本掲載され、それが縁で1991年4月に国立国語研究所に移りました。

国立国語研究所では電子計算機システム開発研究室に配属されたのですが、社会言語学の調査に参加する機会にも恵まれました。山形県鶴岡市における「共通語化」の経年調査に1991年の11月に調査員として参加した際は、心理学者がおこなう社会調査よりも格段に方法論がしっかりしていることを身をもって知り、衝撃を受けました。

1996年からは笹原宏之先生(現在は早稲田大学教授)と共同で、「異体字の好み」に関する研究に取り組みました。笹原先生は2005年3月に早稲田大学に転出され、後任として北海道大学大学院から高田智和氏(現在は国語研准教授)が着任しました。高田先生とは異体字認知についての国際比較研究などを行いました。

2008年に愛知県岡崎市における「敬語と敬語意識」の経年調査に、2011年に山形県鶴岡市の「共通語化」の経年調査に20年ぶりに再度参加しました。それらの調査で取集したデータを解析して『日本語の研究』などの査読誌に投稿し、論文が掲載されました。

言語資源という用語の誕生について語りたいことがあるとか?

1992年から当時の水谷修所長が代表者になって超大型プロジェクト「国際社会における日本語についての総合的研究」の研究費を科学研究費補助金(創成的基礎研究)に申請する準備を開始し、1994年4月に5年間のプロジェクトがスタートしました。1992年秋に私は江川清研究部長の指示を受けて申請書の作文を担当することになり、統計数理研究所などと連携しながら申請書の下書きを作りました。

そのときに「言語資源」という新語を提案してみようと思いつき、申請書類に書いたところ、関係者各方面から「聞いたことがない言葉だ」という意見が出て、いったんは削除されそうになりました。しかし、当時の文化庁国語課長だった韮澤弘志さんがこの用語の重要性をよく理解していろいろと励ましてくださり、最終的にはプロジェクトの研究班4「情報発信のための言語資源の整備に関する研究」において言語資源の整備を目標とした研究を行うことになりました
(参考、https://rmr.ninjal.ac.jp/fond.php?fond=fo0059)。

言語資源という、いまや当たり前になった用語がこの世に誕生する場面に立ち会えたことは、私の誇りの一つです。

今後は?

いま関心があるのは、国立国語研究所が2009年3月に発表した「「病院の言葉」を分かりやすくする提案」の経年研究を何らかの方法で実現させることです。「「病院の言葉」を分かりやすくする提案」のすべてを経年的に調査研究することは予算等の関係で不可能なので、規模を縮小したうえでネットによる意識調査などを活用してデータを収集したいと考えています。

今回、自分自身の研究スタイルを振り返って、気が付いたことがあります。それは、自分で積極的にオリジナルなテーマを立てた場合は査読誌に論文が掲載される確率はゼロに近く、受注生産方式で研究を進めた場合は査読誌に論文が掲載される確率が格段にアップするという事実です。つまり、私には研究者としてのセンスがありません。周囲(とくに国語研)の研究者仲間が、私にフィットするよい注文を出してくれるからこそ、なんとか研究者として食べていけるのです。あらためて、周囲のみなさんに感謝を申し上げます。

研究者紹介012 : 横山 詔一「受注生産方式の研究スタイルも悪くない」

横山 詔一
よこやま しょういち●言語変化研究領域 教授。1959年愛媛県生まれ。今でも頭の中では伊予弁で考えている時間のほうが長い。関西人ゆえ、学会発表や大学の講義では大いに笑ってもらいたいのだが、誰も笑ってくれない。社会言語科学会優秀論文賞(徳川賞)、日本教育工学会論文賞などを受賞。