Vol. 7 (2020年3月発行)
70年、10年という周年記念、おめでとうございます。私は70年のうち10年前までの35年ほど研究職として在籍した者です。そのような者として、あえて短くまとめれば、題目の副題に記したようなことを、研究所はこの間続けてきたと考えています。
この副題で申し上げたいのは、研究所が、この70年間一貫して、日本語を追いかけ、日本語を見つめ、そこから日本語のその先に向けて仕事をしてきた、ということです。
研究所の研究活動は、日本語の生きた姿を追いかけて、その中身や仕組みを見つめ分析して、そこから日本語のこの先、あるいは日本語研究のこの先に向けた成果を作って発信する、ということであった、これからもそうなのだろう、そのように私は考えています。
この副題については、いろいろな観点からとらえることができると思っています。
1つは、研究所の建前に注目する観点です。研究所は70年前に創設されて以来、細かくたどれば4回、その組織の在り方や位置付けを変えて続いてきています。そして研究所の存在を規定する根拠法令もそのつど変わり、その法令の中の研究所の「設置目的」を示す文言も少しずつ変わってきています。
詳しくたどる余裕はありませんが、それらの設置目的は、単に日本語の研究をすることだけを掲げてはいません。端的に言えば、研究をして、あわせて、あるいはそれに基づいて、それにつながる先のことを行うという構造の内容になっているのを忘れることができません。
70年前、研究所は国立国語研究所設置法という独立の法律によって創設されました。その第1条が設置目的です。「国語及び国民の言語生活に関する科学的調査研究を行い、あわせて国語の合理化の確実な基礎を築くために国立国語研究所を設置する」という文言で示されていました。「科学的調査研究」という仕事と「国語の合理化の基礎作り」という仕事が「あわせて」という接続表現でつないで示されています。その後、前半の部分で「研究」の対象として「外国人に対する日本語教育の研究」や「資料の作成・公表」が増え、後半の部分で「国語の改善及び日本語教育の振興を図る」が目的とされた時期がありました(独立行政法人国立国語研究所法第3条)。10年前に大学共同利用機関となった現在の研究所は「(同上の)科学的な調査研究並びに資料の作成及び公表」(国立大学法人法施行規則別表第1)を行うことが目的とされています。私なりに留意することは、大学共同利用機関が「大学における学術研究の発展等に資するため設置される」(国立大学法人法第2条)ということと結び付けると、研究所は「大学における学術研究の発展等に資する」という任務を「その先」のこととして担っていると理解できることです(条文引用は簡略化しました)。このようにたどると、どの時代の設置目的も、「研究」と「その先」を含み込んだ構造が見えると思います。
今日の副題に掲げた「追いかけて、見つめて」という部分は、研究所の設置目的の構造のうち「研究」にあたる仕事を少し細かく2つの局面に分けて言っています。「その先へ」は、研究とあわせて、あるいは研究をすることを基盤にして、さらに実現すべき目標・課題のことを言っています。このような3つの局面という構造は、この70年間、一貫して続いていると思います。
具体的な研究事例を取り上げて、この3つの局面を私なりに整理してみます。
以上は、3つの例示だけです。研究所は、これ以外にも数多くの調査研究を行い、それぞれに日本語を追いかけ、見つめ、その先の日本語や日本語研究に向けた課題を具体化したということを、こうした例を通して振り返りたいと思います。
少し性格の異なる仕事ですが、研究所が創立直後から続けている日本語研究情報の収集と整理編集という事業があります。専門書、研究論文、新聞・雑誌の日本語関係記事などの具体的な情報を集め(追いかけて)、詳細に分類・整理し(見つめて)、その成果を、かつては『国語年鑑』という刊行物として、現在は電子情報の『日本語研究・日本語教育文献データベース』として日本語の研究・教育に携わる先へ公開・提供し、将来に(この先に)向けて蓄積するというものです。この仕事も、3つの局面で構成された研究所ならではのものとして挙げておかなくてはなりません。
この3つの局面というのは、おそらく人文・社会・自然の領域を通じて、実証的な研究活動にとって避けて通れない、不可欠な局面ないし過程だと思います。
とりわけ、最初の局面の「追いかける」については、日本語研究で実例を研究対象とする限りは、すでに話されたり書かれたりした言葉をあとから追いかけて捉えるほかはありません。(かつて、研究所の第3代所長の林大先生は、このことを言葉の残滓を拾い集める営みであると、非常に積極的な意味合いを込めて、当時の研究所員に向かっておっしゃっていました。) さらに、対象が現代語であるからには、できるかぎり活きのいい実例をとらえるために、現実の言語生活・言語社会で、いまさっき用いられたばかりの折角の貴重な言葉を、せめて半歩うしろくらいまでせまって追いかけ続けることが不可欠です。
これは、言うほど簡単ではないと思います。質の良い言語データを大量に獲得するために、研究所は、長いあいだ、人手も、時間も、研究費も、まことに膨大な資源を使ってきています。
たとえば、方言研究の領域の基本資料であり続けている『日本言語地図』『方言文法全国地図』『新日本言語地図』、あるいは近年のコーパス言語学を先導し続ける『現代日本語書き言葉均衡コーパス』『日本語話し言葉コーパス』『日本語歴史コーパス』などは、「追いかける」営みそのものの成果にあたります。その努力は、いまも継続中です。
「見つめる」という2つめの局面は、狭い意味の研究の中核部分です。ここで付け加えるべきことは私にはありません。3つめの「その先へ」という局面は、研究所が公的な機関で公的な資源を用いて進めているという意味でも、研究所の研究事業が担うべき任務であり続けているのだろうと思います。さらに、それより前に、日本語あるいは言語という社会的にかけがえのない資源を研究対象としているということだけから言っても、「その先へ」という課題は重く意識していてしかるべきことだと思います。
そのようなことを含みながら、この先の研究所での研究活動も、日本語を追いかけて、日本語を見つめて、この先の日本語や日本語研究に向けて成果を発信するという枠組みの中で進められるのだろうと、私なりに考えます。
今後も、そうした研究活動が引き続き活発に展開されるよう念じております。ありがとうございました。
副題のような枠組みで行ってきた研究所の研究活動が、どんな特徴をもっていたのか、日本語研究の分野で何を拓いてきたのかを、付け加えて挙げておきます。
かつて人文研究領域では多くなかった共同研究体制を、当初から研究所の内・外で推進した。次項以下の新しい研究領域を担う研究者が、研究所員としてあるいは共同研究に参画する大学等の研究者として、育ち・活躍し・交流する場となっている。最近の10年は、大学共同利用機関法人の機関として、その体制を国際的な枠組みでも強化充実している。さまざまなテーマの研究会、新たなデータや研究手法の講習会なども頻繁に開いている。
この講演は、記念シンポジウムに続いて行われた記念式典において行われたものです。記念式典は、以下のプログラムで行われました。
【式辞】
田窪 行則(国立国語研究所長)
平川 南(人間文化研究機構長)
【祝辞】
村田 善則(文部科学省研究振興局長)
蓼沼 宏一(一橋大学長)
上野 善道(東京大学名誉教授/国立国語研究所運営会議委員)
金水 敏(大阪大学文学研究科教授/日本語学会長)
佐藤 浩二(立川商工会議所会頭)
【記念講演】
杉戸 清樹(国立国語研究所元所長(第7代))
「国立国語研究所のあゆみ ―追いかけて、見つめて、その先へ―」
杉戸清樹
SUGITO Seiju
すぎとせいじゅ●国立国語研究所元所長
※ 本記事は講演時に配付された原稿をもとに作成したものです。写真は研究所所蔵の資料写真から編集委員会が選んで添付しました。