ことばの波止場

Vol. 7 (2020年3月発行)

研究者紹介 : 中川奈津子

研究者紹介: 中川奈津子

今では青森も八重山も関西も、私のふるさとです。

研究者になったきっかけは?

学部では日本文学、卒業論文は中島敦「山月記」について書きました。この作品は「人虎伝」という昔の中国の説話がもとになっていて大筋は同じ話なんですが、中島敦が「山月記」に付け加えた要素に哲学者ニーチェの影響があるのではないかということを主張しました。一応根拠は書いたのですが、「影響があると思う」「ないと思う」で結局は水掛け論になってしまうような気がしていました。「もっと科学的な研究がしたい」と思って大学院では言語学を勉強することにしました。

これまでどのような研究を?

科学的な研究を目指したかったので、大量のことばの産出例(コーパス)や、実験データをもとにした定量的な研究手法を採用しました。特に、人がリアルタイムで考えながらその場で産出する話しことばのデータは、その人の中でそのとき起こっていることの片鱗(例 : 思い出そうとしているときなどの言いよどみ、引き伸ばし)が見えて面白いと思い、話しことばの研究がしたいと考えるようになりました。すると、話しことば特有の現象が色々目についてきます。例えば「猫は寝てるよ」と「猫が寝てるよ」の違い、つまり「は」と「が」の違いはたくさんの日本語学者が長年議論しているんですが、話しことばにはさらに「猫 寝てるよ」という「猫」の後に「は」も「が」もつけない言い方もあります。でも話しことばならいつでも何もつけないで良いというわけではなく、「あっ、あそこで猫 ネズミ 追いかけてる!」とは言いづらくて、やっぱりこの場合は「猫が」と言いたい人のほうが多いです(東京方言では)。どういう場合に「は」も「が」もつけないで良くて、どういう場合に「は」「が」をつけるのかということも、博士論文で調べました。実例に基づいてきちんと検証したかったんですが、まだ道半ばです。指導してくださった東郷雄二先生(現・京都大学名誉教授)にはとても感謝しています。フランス語が専門の先生ですが日本語に関する私の研究も熱心に指導してくださいました。今でもよく「東郷先生はこんなことをおっしゃっていたな」と思い出します。迷ったときの大事な指針です。

今、関心を抱いているのは?

話しことばというのは、全部どこかの方言です。私が「日本語話しことば」として博士課程で調べてきたのは、東京方言です。私自身、関西の出身なので東京方言を調べていく過程で「これは私の方言とは違うな」と思うことがたくさんありました。博士課程在学中に田窪行則先生(現・国語研所長)の琉球宮古池間方言の授業をとって、日本語と関連しているのにこんなに違うことばがあるんだと驚きました。しかも、私が博士論文で調べた「は」と「が」相当のものに加えて、「どぅ」という現代日本語にはないものがあるのです。さらに文中の「どぅ」の有無によって動詞の形が変わる、いわゆる「係り結び」の現象が場所によってはあるのです。一方、東北の方では「は」も「が」も(「どぅ」も)あまり使いません。何によってこの違いが生まれているのだろう、どうやったらこれを説明できるだろう、というのが今の関心です。幸いにも巡り会えた多くの方々のおかげで、今は沖縄県の八重山と青森のことばを中心に調査させていただいています。

今後の研究についてお願いします。

研究テーマを大きく変えたと思われるかもしれませんが、私はそんなつもりは全くありません。話しことばの現象が面白いから調べたい、どんな違いがあるのか、どのように説明できるのか知りたいのです。でもそのためには、私が博士論文で東京方言について調べたときのような、たくさんの話しことばの実例が必要です。各方言の話しことばコーパスは整備されつつあります。私もまず自分のデータを整備して、コーパスの形で世に出したいです。他の地域のデータもあればあるほど嬉しいので、他にデータを持っていて公開したい人がいれば、手助けがしたいです。

方言の多くは、祖父母世代しか日常的に使われておらず消滅の危機にひんしているので、復興のための活動にも参加しています。幸運なことにも山田真寛くん(国語研准教授)に誘われて、竹富島に伝わってきた民話の絵本を作るのを手伝わせていただきました。八重山にルーツを持つ人たちと研究者が集まって八重山のことば(やいまむに)を話す会にも参加させていただいています。自分の研究対象の言語の母語話者がいないのは困るというのももちろんありますが、やっぱり小さい頃から聞き慣れているふるさとのことばが聞こえなくなると寂しいですよね。今では青森も八重山も関西も、私のふるさとです。駅や空港に着いて方言が聞こえてくると「帰ってきたな」と思います。テレビやラジオから聞こえると懐かしい気持ちになります。こういう気持ちを持ち続けられるお手伝いができれば良いなと思います。

研究者紹介 015 : 中川奈津子「今では青森も八重山も関西も、私のふるさとです。」

中川奈津子
NAKAGAWA Natsuko
なかがわ なつこ●言語変異研究領域 特任助教。
2005年同志社大学文学部卒業。ニューヨーク州立大学修士(言語学)。京都大学博士(人間・環境学)。京都や青森の大学の非常勤講師、日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て2019年から現職。