ことばの波止場

Vol. 9 (2021年3月発行)

コラム : 「ブレーキ踏んでた!」はなぜ運転手しか言えないのか〜発話の権利〜(定延利之)

「ブレーキ踏んでた!」はなぜ運転手しか言えないのか〜発話の権利〜

ドライブに行こうと、皆でレンタカーに乗り込んだが、なぜか車は動かない。「燃料は入ってるよね」「キーは刺さってるな」などと、車内の皆で原因を探るうち、車内の1人が原因を発見する。なんと、運転座席にすわっている父親が、アクセルと間違えてブレーキを踏んでいるのである。

この時、原因を発見した者が父親の足を指しながら「あ、ブレーキ踏んでた!」と言ったとすれば、それは基本的に父親自身である。発話の自然さを日本語の母語話者(10代~70代以上115名)に5段階で評価してもらった、アンケート調査の結果を示そう(1点 : 最も不自然、5点 : 最も自然)。父親の「あ、ブレーキ踏んでた!」発話は高評価(平均4.4点)である。だが、後部座席の子供が父親の足を指しながら言う「あ、ブレーキ踏んでた!」発話は低評価(平均2.2点)である。

ブレーキ踏んでた!とブレーキ踏んでる!の図解

子供の「あ、ブレーキ踏んでる!」発話は問題ない(平均4.7点)。それなのに、「あ、ブレーキ踏んでた!」発話は父親以外だと言いにくい。どういうことだろうか?車内の人間たちは、[車が動かない原因は不明(少なくともペダルの踏み間違いではない)]という知識を心内に持っている。だが、父親がブレーキを踏んでいることに気づけば、[車が動かない原因はペダルの踏み間違いだ]という新知識を得る。そして、いままで持っていた知識を、この新知識に更新する。これは簡単な作業である。だが、それは心内でおこなう作業の話である。

心内で人知れず作業(知識を更新)することと、発話をとおしてその作業をあからさまにおこなうことは、別である。前者は誰でも簡単にできる。だが、問題の「た」発話は後者に属する。破棄すべきことが明らかとなった、これまでの自分の古い知識に思いを馳せ(それで過去の「た」が現れる)、「正しくはこうだった」と、それをあからさまに更新してみせる行動である。(「あからさま」「~してみせる」とはいっても、必ずしも意図的ではないことを断っておく。)

これは基本的に父親にしかできない。なぜか?運転座席に座っているのが父親だからである。いまコミュニケーションの場に発生している問題[車はなぜ動かないのか?]を自分の問題として引き受け、なんとか解決をはからねばならない、この問題の「責任者」だからである。(後部座席の子どもでも、車が動かないことを、よほどきもちを込めて不思議がり、自分のこととして原因を探し回っていたなら、「責任者」の仲間入りを果たしているので、「あ、ブレーキ踏んでた!」と言えるだろう。「基本的に」父親、と述べているのは、この意味である。)

「た」と同じことは、「えーと」のような、考え中の発話にも観察できる。心内で考えることは誰にでもできる。だが、「えーと」と言って皆の前であからさまに考えてみせることは、「責任者」にしかできない。

たとえば「190円と160円で、えーと、350円ですね」のように、発話している最中の話し手が「えーと」と言うことは自然である(平均4.5点)。話し手は、いまコミュニケーションの場に発生している問題[次に何を言うべきか?]の「責任者」だからである。

また、それまで黙っていた者が、「えーと、それ、ちょっと違うんじゃないですか」と、「えーと」発話を皮切りに、異議をとなえ始めることも、(多少失礼な言い方ではあるが)自然である(平均4.0点)。これは、それまでの話し手を差し置いて、コミュニケーションの場に生じた問題を引き受ける「責任者」の立場を自ら買って出る発話である。

さらに、「どう思いますか、○○さん?」と、先生に当てられてしまったが、何を言えばよいかわからず、話すつもりもない生徒が、自分には見切りをつけて早く他の生徒を当ててくれという、いわば「パス狙い」で、「えーと…」と言ったきり黙りこくるということも、(決して褒められたことではないが)一応自然である(平均3.8点)。これは、意に反して先生から「責任者」の立場を割り当てられてしまった発話である。

以上のケースに該当しない者たち、つまりコミュニケーションに参加して議題を真剣に考えてはいるが、意見を述べるつもりはなく、期待もされていない「外野」の者たちは、「えーと」と言うこともあまり自然ではない(平均2.6点)。

「発話の権利」と言えば、「他人の話に口出しするな」「割り込むな」などと取りざたされる面があることは、よく知られている。だがそれとは別に、コミュニケーションの場に発生する個々の問題ごとの、動的なものもあると考えてもよいのではないか。

※ 本稿は、日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤(S)20H05630)の成果を含んでいる。
文献
定延利之(編)2020『発話の権利』東京 : ひつじ書房

定延利之
定延利之
SADANOBU Toshiyuki
さだのぶ としゆき●京都大学文学研究科 教授。
専門分野は言語学・コミュニケーション論。