ことばの波止場

Vol. 10 (2021年9月発行)

研究者紹介 : 山田真寛

研究者紹介 023:山田真寛

ことばの復興を、誰でも、どこでも、みんなでおもしろがってやろう!

研究者になったきっかけ

心理学を学ぼうと思って入学した大学で(間違えて)とんでもなくおもしろい言語学の授業を受講してしまい、それから卒業まで、徹夜で宿題をやったり生成文法という分野の論文を読みまくったり、また似たような友だちにも恵まれ、彼らと一緒に勉強会をしたり東京中の大学院に聴講しに行っていました。そしてあるとき、アメリカの大学院にいた先輩に「アメリカに来たらそれやってれば給料もらえるよ」と言われたのが研究を仕事にしようと思った最初のきっかけです。授業料も免除な代わりに、能力がないと判断されれば即クビというのも、辞め時がわかりやすくていいと思いました。卒業後はアメリカの大学院に行くかフリーダイビングの選手になるかの二択でしたが、デラウェア大学からオファーをもらったので研究の道に進みました。

これまでのご研究について

アメリカでは主に、論理式と関数を使って人間が言語の意味を解釈するしくみを研究していました。それと、デラウェア大学はフィールドワークと理論研究の両方をやる人が多く、僕もフィールドメソッドという授業を毎年履修していました。この授業には未記述の言語の母語話者が来て、1年かけてその人の言語を体系的に記述します。でも、いつかこういう疑似フィールドワークではなく、身一つでジャングルに分け入って未記述の言語をこの手で…ということを夢見ていました。

2010年度の学振PD(日本学術振興会の特別研究員)に採用されたので博士論文を書いて帰国したのですが、期間中の半分は日本にいないといけないという学振の制約が。アメリカに1年半戻る計画がすでにあったので、ジャングルには行けない…。しかし受入教員の先生が「日本にも君がひとこともわからん言語があるんやで」と、宮古島に連れて行ってくださり、さらにPD同期の友だちに「宮古島より記述が進んでいない与那国島に行こう」と誘われ、2010年から与那国語のフィールドワークを始めました(与那国島は亜熱帯気候なので、ジャングルでした!)。それから数年、彼と一緒に与那国語の文法記述をしてきました。また研究者仲間に誘われて2015年からは沖永良部島でもフィールドワークを始めたこともあり、言語の継承保存も研究テーマにすることになりました。はじめて琉球語の絵本(『みちゃぬふい』言語復興の港 2016年)をつくったのもこの頃です。

いま、取り組んでいること

数か月ごとに数週間のフィールドワークに通って島の友だちが増えてきた頃、「島のことば残せるんなら残したい、でもどうすればいいのかわからん」という声をよく聞くようになりました。研究者は体系的な記述を残すことはできても、談話資料などの言語記録は1人だけでは残せる量が限られていて、さらに言語の継承保存(話者数の維持)は言語コミュニティの主体的・継続的な取り組みがなくてはできません。でもこれぜんぶやった方がいいんだよな…と思い、消滅危機言語の文法記述・記録保存・継承保存を並行して行う「言語復興の港」プロジェクトを進めています。言語の研究者が文法記述を進め、研究者と言語コミュニティが一緒になって言語の記録を蓄積し、これらをベースにした言語継承を言語コミュニティが主体的に継続できるようにするプロジェクトです。

主にフィールドワークをしている沖永良部島の人たちと一緒に、言語記録のトレーニング機会、絵本や動画など楽しく島のことばを身につけられるコンテンツ、継承保存のモチベーションになるイベントなんかをつくっています。ほんとうにたくさんの島の人たちのほか、言語研究者、アーティスト、デザイナー、役場や教育現場の先生たちなど、「これぞ協働」という感じでプロジェクトを進められています。

これからしてみたいこと

島のことばが「話せる」ことと「教えられる」ことが違うと理解した人たちが増え、僕たちが「潜在話者」と呼んでいる、流暢には話せないけど聞いて理解できる人たちの中からは、島のことばを話すようになった人たちも。彼らは子育て世代であり、沖永良部島のことばは復興を始めたと言えます。沖永良部島の人たちのサポートはもちろん続けますが、これは「僕たちが」「沖永良部島で」だけできたことなのか、「誰でも」「どこでも」できることなのか…。後者になるような普遍知を抽出して、一人ひとりが大切に思う地域言語がなくならないようにしたいです。「みんなおもしろがってやってる状態」をつくればいいだけなんですけどね。

研究者紹介 023 : 山田真寛「ことばの復興を、誰でも、どこでも、みんなでおもしろがってやろう!」

山田真寛
やまだ まさひろ●言語変異研究領域 准教授。
1982年北海道函館市生まれ。国際基督教大学卒業後、米国デラウェア大学に進学し2010年にPh.D.取得。京都大学、広島大学、立命館大学での任期付き研究職を経て2018年から現職。