国語研の窓

第1号(1999年10月1日発行)

連載:国立国語研究所の紹介

国立国語研究所 創立のころ

国立国語研究所長 甲斐 睦朗

国立国語研究所は、昨年の12月20日に創立50周年を迎えました。その記念として、式典、研究発表会、研究室公開やポスター発表などを1週間ほどかけて行いました。それから出席していただいた方々からは「国立国語研究所がこの50年間にどのように日本の国語研究に力を尽くしてきたかがわかった。」などと祝福していただきました。しかし、出席していただけなかった数多くの方々のために、何とかして、国立国語研究所の研究成果、研究動向などについてご報告したいと思っておりました。

幸いにも広報誌『国語研の窓』を発刊する運びになりました。そこで、4回の連載で国立国語研究所の概略をご説明することにしました。今回は、第1回として、国立国語研究所の創立のころの国語問題の状況についてご紹介します。

国立国語研究所が創立されたのは昭和23年の12月20日です。その翌年の春に出版された『国語調査沿革資料』(文部省教科書局国語課編)の「年表」には、終戦直後の国語に関する文部省等の動きが詳細に取り上げられていて、国立国語研究所がどういう国語国字問題の動きの中で誕生したかがよく伝わってきます。そこで、戦後3年間の国語審議会総会の審議課題を紹介しながら、国立国語研究所創立の流れをたどってみましょう。

昭和20年11月には早くも第8回国語審議会総会が開催され「標準漢字表」案を審議しています。この課題は、大正10年代から長年継続審議してきたもので、昭和21年4月の第9回では「常用漢字表(1295字)」案に改められましたが、結局、5月の第10回で否決されました。そして、9月の第11回では「現代かなづかい」が議決されると同時に、大規模の国語研究機関設置を希望する件が附帯決議として採択されました。これが国立国語研究所になるわけです。そして、その2か月後の第12回では1850字の「当用漢字表」を議決しています。

その翌22年8月には、安藤正次氏外5名が提出した国語国字問題の研究機関設置に関する請願が第1回国会に提出されました。その国会の審議については『国立国語研究所設置法衆議院参議院議事録』が所長室に保存されています。国会議員による熱心、周到、そして真摯(しんし)な討議が行われていまして読む者の国語研究への熱意をかき立てます。国立国語研究所設置法は、昭和23年11月に国会を通過成立し、12月20日に公布されました。

以上、国語審議会総会を5回分紹介するだけでも、終戦直後の国語に関するあわただしい動きを知ることができます。この背後にGHQなどによる文字表記のローマ字化の検討の問題をすえてみますと、なぜ当用漢字の制定を急いだかなどの事情が理解できます。国立国語研究所は、国語の合理化を図るための科学的調査研究を行う研究機関として設立されたのでした。その国立国語研究所が、この50年間にどのように国語の合理化のための調査研究に取り組んできたかについては、次号以下で述べることにします。

創立10周年記念式典(昭和34年3月6日)
創立10周年記念式典(昭和34年3月6日)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。