第6号(2001年1月1日発行)
一昨年の正月に『けろりの道頓』という歴史ドラマがフジテレビで放映されました。私財をなげうって大阪の道頓堀川を造った河内の豪族・安井道頓の一生を描いた作品です。
西田敏行扮する道頓のセリフにこんなのがありました。地面にひれ伏し、道頓堀川の造成について役人から許可の通告を聞いた道頓が、それを受けて「しかと承りました」と答えたのです。これを聞いたとき「適切なことばがあるものだなぁ」と感心しました。とりわけ「しかと」の部分に感動しました。
今でしたらこんな時何と言うでしょうか。「確かに~」では受け止め方がまだ緩いような感じがします。後半の「承りました」の部分はどうでしょう。「分かりました」ではずいぶん軽い感じがしますし、直前の「確かに」との繋がりもやや不自然です。「了解しました」とすれば受け止めの確実度は増しますが、タクシーの無線や電子メールではふさわしいでしょうが、この場面にはちょっとそぐわない感じがします。ここはやはり、「しかと承りました」しかなさそうです。
社会階層による使用の片寄りはあったでしょうが、一昔前はこんな適切なことばが、暮らしに生きることばとして普通に使われていたのです。現代の日本語に伝承されなかったのが非常に惜しい気がします。
いよいよ新しい世紀に入りましたが、文化として「しかと」伝えるべきことば、「しかと」受け継ぐべきことばというのが、いろいろとありそうです。
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。