国語研の窓

第7号(2001年4月1日発行)

研究室から:「全国方言談話資料データベース」の作成と研究

日本各地の方言が急速に変化し失われていく現在では、伝統的な方言の実態を記録し、後世のために資料として残すことが、緊急かつ重要なことだと考えられるようになりました。こういう状況の中、1977年度から1985年度にかけて、文化庁が実施した「各地方言収集緊急調査」報告資料が見直されています。この事業によって残された大量の録音テープや文字起こし原稿は、伝統的な方言の自然な話しことばを明らかにできるたいへん貴重なものです。

ここでは、この資料の内容を一部ご紹介し、それに関連して方言の使われ方の変化なども見ていただこうと思います。

みなさんは、「きのうは役場に行かなかった」と言うとき、「行かなかった」のところをどのように言いますか。右の地図は、日本各地の老年層に、「行かなかった」にあたる、打消の過去形をたずねた結果です。

「方言文法全国地図」第4集第151図により略図作成
「方言文法全国地図」第4集第151図により略図作成

注目すべきは、「イカナンダ」などの-ナンダ類(赤い記号)です。-ナンダは室町時代に現れ、近世後期には-ナカッタのほうが勢力が強かったようですが、明治まで中央(京都)語として使われました。その領域は京都を中心とした半径300kmの円の中にほぼおさまっています。

では、-ナンダは、実際の会話ではどのように使われているのでしょうか。京都と大阪での60歳以上の人の自然な話しことばをあげてみます。上段の片仮名表記は方言音声を文字にしたもの、下段の漢字仮名まじり表記はその標準語訳です。

談話Aは京都での-ナンダの例です。もともと打消の-ンの過去形は-ナンダで、打消の-ヘンの過去形は-ヘナンダでしたが、打消を強調する意識が働いて-ヘンナンダという形が作られました。

なお、京都では、-ナンダの他に同じくらい-カッタも使われています。

談話A 京都 老年層
談話A 京都 老年層01

談話A 京都 老年層02

談話Bは、大阪での-ナンダの例です。大阪では-ナンダだけが使われ、-カッタはまったく現れませんでした。この点に関する限り、京都より古い姿を残していると言えそうです。

談話B 大阪 老年層
談話B 大阪 老年層

若い人達の会話では、打消の過去形がどのようになっているか比べてみましょう(真田信治・井上文子・高木千恵(1999)『関西・若年層における談話データ集』科学研究費成果報告書)。

若年層では、談話aの京都でも談話bの大阪でも、-ンカッタ、-ヘンカッタのように-カッタだけが使われていて、-ナンダはまったく現れません。

談話a 京都 若年層
談話a 京都 若年

談話b 大阪 若年層
談話b 大阪 若年層

年代別に見ると、-ナンダの使用率は下の図のようになっています。老年層と若年層の間で大きな変化が起きていることがわかります。伝統的な-ナンダが急激に消えているのです。

「イカナンダ」を使いますか?(京都)
岸江信介・井上文子(1997)「地域語資料3京都市方言の動態」近畿方言研究会により作図

私たちは、現在、談話A・Bであげたような資料を有効に活用するために、「全国方言談話資料データベース」を作成し、共同利用のできる大規模な言語データとして公開することを目指しています。伝統的方言の最後の姿が映されているこの資料をもとにして、方言の体系や運用の実態に迫ることができればと考えています。

みなさんにも、できるだけ多くの方々にこのデータを使っていただき、ご自分の使っていることばについて考えたり調べたりするきっかけにしてくだされば、とてもうれしく思います。

(井上 文子)

  『全国方言談話データベース 日本のふるさとことば集成』:http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/hogendanwa_db/

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。