第8号(2001年7月1日発行)
さる5月12日(土)に、第5回「ことば」フォーラムが国立国語研究所講堂で開催され、約130名の方の参加がありました。今回のテーマは「「ことば」ってなんだろう?」です。講師は、井上優、植木正裕、三井はるみの3名が担当しました。
フォーラムでは、「私たちは日本語が話せるのに、なぜ国語の勉強をやらないといけないのか」、「最近の若者のことばは、何を言っているのかさっぱりわからない」といった、日常生活で感ずる素朴な疑問に答える形で、「ことば」の多様な側面について解説しました。そして、まとめとして、
「ことば」と上手につきあうためには、「ことば」に多様な側面があることを理解することが最も重要である。
ということを述べました。
以下では、「若者ことば」を例として、フォーラムの内容のエッセンスをまとめます。
ことばには次の三つの側面があります。
若者ことばを使わない人にとって、若者ことばの大部分は聞いてもすぐに意味がわからないものです。「ことばはコミュニケーションの道具である」という観点から言えば、「若者ことばはまるっきり違うことばだ」ということになります。
しかし、若者ことばの作り方そのものは、基本的には既存のしくみを応用しているにすぎません。例えば、「ゲーセン」(ゲームセンター)や「スノボ」(スノーボード)などの例にみられる短縮のパターンは、「東大」(東京大学)や「パソコン」(パーソナル・コンピューター)と全く同じです。「ことばは一つのシステムである」という観点から若者ことばを見れば、「しくみそのものは大した違いはない」という側面が見えてくるのです。
つまるところ、若者ことばは、既存のことばのしくみを応用した一種のことば遊びです。そして、その背景には、「人とコミュニケーションをするための道具は、楽しくて粋な道具の方がいい」という、ごく自然な感覚があります。この点からしても、若者ことばを全面的に否定することは不自然なことといえます。
しかし、若者ことばに違和感を覚える人にとっては、 若者ことばのしくみや背景が頭で理解できたからといって、その違和感自体がなくなるわけではありません。それは、「ことば」には、使い手一人一人の中にある「ウチなる文化」の一つであるという側面があるからです。若者ことばをめぐる問題は、本質的に「世代間の文化摩擦」という問題なのです。社会の一員である以上、自らの「ウチなる文化」を主張するだけでなく、自分以外の「ソトなる文化」を尊重することが必要なことはいうまでもありません。前述のように、若者ことばを全面的に否定することは不自然なことですが、若者ことばに違和感を感じる人がいる以上、若者ことばを全面的に肯定することもまた不自然なことなのです。
このように、若者ことば一つとっても、「ことば」のどのような側面に注目するかで、異なる結論が得られます。しかし、いずれの結論も、「ことば」の多様な側面に即した自然な結論です。「ことば」と上手につきあうということは、異なる結論の間でうまく折り合いをつけながら、とるべき道を探るということにほかなりません。「ことば」をめぐる問題について考える際には、「ことば」に多様な側面があることを常に念頭に置き、一つの結論で満足することなく、むしろ、それを出発点として、「別の観点から見たらどうなるか」を考えることが大切です。
(井上 優)
第5回「ことば」フォーラム:http://www.ninjal.ac.jp/archives/event_past/forum/05/
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。