国語研の窓

第9号(2001年10月1日発行)

研究室から:社会言語学的調査に携わって

社会言語学的調査に携わって

国立国語研究所では創立以来多くの社会言語学的調査研究を行ってきました。北海道における共通語化の調査、山形県鶴岡市における共通語化の調査、愛知県岡崎市における敬語の調査、大都市における言語生活の実態調査、そして最近行われた日本語観国際センサスなどがその代表的なものといえます。

社会言語学は、研究対象とすることばの側面によって、ミクロな社会言語学(微視的社会言語学)とマクロな社会言語学(巨視的社会言語学)とに分けることが出来ます。冒頭の例で言えば、共通語化、敬語、言語生活などはミクロな社会言語学が対象とする研究分野であり、個々の言語内の問題を社会的変数(性、年齢、学歴など)との関係で明らかにしようとする研究分野です。日本語観国際センサスで取り扱った言語イメージの比較はマクロな社会言語学に属するものといえます。マクロな社会言語学は、多言語社会における言語問題、言語政策、バイリンガルの問題などを研究対象とするものです。

ソシュール(20世紀初頭)以来、言語学はラングを扱う学問とされてきました。ラング(langue)とは同一言語を話す社会の成員が共有する言語体系のことです。しかし社会言語学では個人の言語意識に一歩踏み込んで、パロール(parole)、つまり各個人の持っている言語観や言語使用の意識を研究の対象とします。

個人の言語観を研究対象とすることが多いため、安定した結果を得ようとすると、どうしても多くの個人からの情報を必要とします。そのためひとつの地域社会で社会言語学的調査を実施する場合、何百、あるいは千人にも及ぶ被調査者の協力が必要となるわけです。

分析に際しては、言語学で得られた知見だけでなく、社会学や統計学で得られた知見を分析の手がかりとすることが一般です。

国語研究所が行った社会言語学的調査の一例として、鶴岡市における共通言語化の調査を見てみましょう。この調査は、山形県鶴岡市という地域社会で方言がどの程度共通語化しているか、また方言と共通語の使い分けがどのように行われているのかを時代を隔てて調査したものです。1950年、1972年、1991年の3回にわたって調査が行われてきました。調査項目は音声、アクセント、語彙、言語意識などが中心で、被調査者として15歳から69歳の男女がランダムサンプリングによって選ばれました。1991年調査では405名の被調査者から回答を得ることが出来ました(回収率81%)。

図1は音声に関する調査項目から、中舌化と呼ばれる現象を4つのことばで観察した結果を示したものです。中舌化とは共通語の「イ」の発音が「ウ」の発音に近くなったり、「ウ」が「イ」に近くなったりして、「イ」と「ウ」の中間的な音で発音される現象のことを言います。図では共通語と同じ発音で回答した人の割合を、各調査ごとに線で結んで示してあります。図を見ると、共通語化の程度が進んでいることがはっきりと現れていますが、「カラス」のように共通語で「ウ」と発音されることばの方が、「カラシ」のように「イ」と発音されることばよりも割合が高くなっていることも分かります。一方、以前鶴岡方言で「クヮヨービ(火曜日)」と発音されていたことばなどは、ほぼ全員共通語と同じ「カヨウビ」という発音で回答されていました。図に示したように、「チジ(知事)」のように共通語での回答率が低いものもありました。単語によって(発音の)共通語化の進展具合が微妙に異なることがおわかりいただけると思います。

図1 共通の発音で回答した人の割合
図1 共通の発音で回答した人の割合

さてこのようにしてみると、いずれ共通語化が進んで方言は私たちの回りからなくなってしまうような気がしてきます。本当にそうでしょうか。そのことを考える手がかりとして、別の調査項目を見てみましょう。

図2は場面による方言と共通語の使い分け意識を調べたものです。家族のような親しい間柄と見知らぬ旅人を相手にして話す場合では、ずいぶん様子が違っているのがわかると思います(調査では4つの場面について尋ねましたが、ここでは2場面を示すのにとどめました)。つまり見知らぬ人には共通語を使う人が多くなったけれど、家庭内では共通語と方言を混在させて使う人が多いということです。

図2(1) 場面によることばの使い分け(1991年)

図2(2) 場面によることばの使い分け(1972年)

図2(3) 場面によることばの使い分け(1950年)

2つの図に示された結果からこんなことが言えないでしょうか。共通語化が進む一方で、方言使用の能力を併せ持っている人が数多く存在している。そして、その人たちは場面によって方言と共通語を使い分けている。つまり、地域社会から方言がなくなるのではなく、方言と共通語が共存していくことになるのではないでしょうか。

上記鶴岡調査のように、国語研究所ではこれまでミクロな社会言語学を研究対象としてきました。しかし、日本は今、種々の側面で国際化の波に洗われています。当然、ことばの問題も例外ではありません。つい最近も、英語公用語論なる議論がマスコミを賑わしていましたが、方言・共通語という言語内の要因に、さらには英語をはじめとする外国語の要因が加わり、地域社会では今後言語接触を含めた複雑な言語生活が展開されることになるのかも知れません。最近、国語研究所では日本語観国際センサスを実施しました(概略は、「国語研の窓」2号3号4号を参照)。この調査のようにマクロな視点に立った社会言語学的調査の重要性も今後は高まっていくことが予想されます。

(米田 正人)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。