第12号(2002年7月1日発行)
最近,「異文化間コミュニケーション」ということがよく言われます。異なる言語や文化を背景とした人どうしが直接コミュニケーションをおこなう,それが異文化間コミュニケーションです。
異文化間コミュニケーションというと,外国の人とのコミュニケーションを思い浮かべる人も多いでしょう。実際,日本で異文化間コミュニケーションということが言われるようになった背景には,日本人が仕事や旅行で海外に出かけたり,外国の人が日本に来て地域の隣人として定住したりする機会が増えたということがあります。
しかし,外国の人とのコミュニケーションだけが異文化間コミュニケーションなのではありません。たとえば,「最近の若い人は何を考えているのかわからない」という,いつの世にも聞かれる嘆きは,異なる世代の間のコミュニケーションがまさに異文化間コミュニケーションであることを示しています。また,日本の国内でも,地域によって文化や習慣は少しずつ異なります。文化や習慣が異なる者どうしがコミュニケーションをおこなうことは,私たちにとってごく身近なことがらなのです。
異文化間コミュニケーションには誤解や摩擦が起こりがちです。ある場面でどのような行動をとるか,また相手の行動をどのように理解するかが,文化によって異なることがあるからです。
一つ例をあげましょう。国立国語研究所では,日本在住の韓国人(韓国で生まれ育ち,仕事や勉強のために現在日本に住んでいる人30人)を対象に,日本人と韓国人の日常生活でのことばや行動について調査をおこなったことがあります。たとえば,
夫と実母と一緒に食事をしている若い女性が,うっかりソース入れを倒し,ソースがこぼれてしまった。その女性は,とっさに「あっ,ごめん!」と言う。
という場面のビデオを見てもらい,「韓国の家庭で同じことが起きたとしたら,ソースをこぼした人の行動は同じか?」といった質問をするわけです。
このインタビューでは,30人中13人が「違う」と答え,うち8人が「そのような場面では謝らないだろう」と答えました。ソースをこぼして「ごめん」と言わないというのは,日本人の感覚ではちょっと違和感があるかもしれません。しかし,韓国人にしてみれば,「家族や友人のような親密な間柄でいちいち感謝やおわびのことばを言うのは,他人行儀で水くさい」ということがあります。
回答の中にも,
といった意見が見られました。
これに似た感覚は中国人にもあるようです。たとえば,中国人の女性と結婚したある友人は次のようなことを言っていました。――「中国の妻の実家に滞在したとき,お姑さんが毎朝早く起きて朝食をつくってくれた。自分としては感謝の気持ちを表したいのだが,『ありがとう』は他人行儀になるので言えない。頭では理解できるが,言いたいことが言えないというのはけっこうストレスがたまる。」――「異文化」を理屈ではなく感覚で理解するには,やはり「慣れ」が必要なようです。
異なる国の人とでも,日本人どうしでも,コミュニケーションをするときには,「自分とは異なるやり方がある」ということを感じる感性と,互いの行動の背景にある考え方を理解しようとする姿勢が必要です。また,そのことは,私たち自身のコミュニケーションのあり方を客観的に見つめることにもつながります。
右に紹介する国語研究所の二つの新刊は,具体的な事例をあげながら,ことばやその背景にある文化の多様性を見つめることの重要性について考えるきっかけを提供するものです。ぜひ一度御覧いただき,それぞれの視点から,ことばや文化について考えていただきたいと思っています。
(新「ことば」シリーズ編集刊行委員会 井上 優)
(ビデオ作品制作委員会 熊谷 智子)
(財務省印刷局発行/A5判横組み/128ページ/本体460円)
国立国語研究所編集の「新『ことば』シリーズ」の最新刊です。
シリーズ15からは,関連箇所を相互参照しやすくして,一つのテーマについてよりわかりやすい解説をおこなうために,これまで「解説編」(座談会・解説)と「問答編」の2冊に分けていたものを,1冊にまとめることにしました。「言葉のクリップボード」などのコラム欄も新たに設けました。
新「ことば」シリーズ:http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/shin_kotoba_series/11_19/15/
(37分/対象は高校生以上)
本シリーズは,文化庁が昭和55年度から制作してきたビデオ・シリーズ「美しく豊かな言葉をめざして」を引き継ぐ形で,国立国語研究所が平成13年度より制作を始めたものです。
このビデオでは,言葉の使い方やものの考え方の違いから生じる戸惑いを題材として,人とのコミュニケーションにおける想像力や柔軟性の大切さを,ドラマ形式で描いています。
「ことばビテオ」シリーズは,各都道府県の教育委員会を通じて,地域の視聴覚ライブラリー等に配布されます。
「ことばビデオ」シリーズ:http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/kotoba_video/
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。