国語研の窓

第14号(2003年1月1日発行)

ことばQ&A

中国語にとりいれられた日本語

質問

中国に入った日本語があると聞いたことがあります。いったいどのような語が中国語にとりいれられたのでしょうか。

回答

日本語には,中国語から入ってきた語が多くあります。それらは漢語とよばれ,日本語の語彙(ごい)のなかで重要な位置を占めています。しかしその反対に中国語に入った日本語もあります。この中国語における日本語の受容で,とくに注目されるのは19世紀末から20世紀初めにかけての翻訳語の受容です。この時期中国語に入っていた翻訳語には,「社会」(英societyの訳語)や「哲学」(philosophyの訳語)などがあります。これらは,西洋の学問を移入するために,明治期に日本で作られた翻訳語です。

明治期に作られた翻訳語がどのようにして中国語に入っていったのか,その経緯を見てゆきましょう。

19世紀末中国は日清戦争での敗戦により,近代化の必要性を痛感するとともに,日本に強い関心を持つようになりました。これは,日本が中国よりも先に西洋文明を吸収し,近代化に成功していたためです。そして中国は1896年から留学生を日本に派遣するようになりました。

この留学生たちは,西洋の学問に関する事物を日本語から中国語に翻訳して本国へ送りました。この時,新たに翻訳語を作らずに日本の翻訳語をそのまま使うこともありました。こうして19世紀末から20世紀初めにかけて,中国語は明治期の日本で作られた翻訳語を受容してゆくことになったのです。

中国語が日本の翻訳語をそのまま受容できたのは,日本で西洋の事物を翻訳するときに漢語を使ったからです。明治期の知識人たちにとって,中国の古典を学ぶことは大切な教養でした。そのため彼らは,西洋の書物を翻訳するときにも,中国の古典にある漢語を翻訳語として借りたり,また新たに漢語を作ったりしたのです。

中国語に入り定着した日本の翻訳語には,「社会」「哲学」以外に「革命」や,「音符」「音域」といった音楽用語もあります。このうち「社会」「革命」は,中国の古典にある語を日本で翻訳語に使ったものです。したがって,中国語から見れば,新しい語の受容ではなく,日本において加えられた新しい意味の受容というべきものです。

さて,最近外来語の問題がよく話題になります。日本語と外国語との関係といったばあい,日本語がどのような語を外国語から受け入れたのかということが注目されます。しかし日本語が外国語を受けいれるばかりでなく,日本語が外国語に受けいれられることもあるのです。今後は,日本語と外国語との関係を,「語彙の交流」という視点からみてゆくことも必要でしょう。

(小椋 秀樹)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。