国語研の窓

第15号(2003年4月1日発行)

コラム

言葉以外から伝わるもの

日本人日本語教師がごく初級レベルの日本語学習者に「私は先生です」と自分を指さしながら繰り返し教えたところ,その学習者は「センセイ」というのは「鼻」のことだと思って聞いていた,などという話がある。人さし指で自分の鼻を指す動作が「自分」を意味するということも文化が異なれば通用せず,「これは鼻だ」と言っているに過ぎないかもしれない。

異なる文化の人同士によるコミュニケーションでは,しばしば誤解が生じることがある。その際,言葉がわからないことが誤解の原因だと思いがちだが,そうとは言えないことも多い。

言語は情報伝達の重要な手段であるが,実際には言語によるものだけとは限らない。例えば,身ぶり一つをとっても文化によってその意味が異なることがある。この身ぶりなどの言語以外の手段による情報伝達では,言語によらない分,相手に与える印象を左右したり,誤解を招くことも多い。

また,日本人に対して何かを依頼したり誘ったりしたときに,受け入れられたのか,断られたのかがよくわからないという学習者の声をよく聞く。

ある学習者が日本人にスピーチを頼んだところ,「いやいや私なんか」と謙そんの言葉を繰り返すばかり。日本語では時に謙そんも繰り返すことなどによって断りに使われるが,その学習者は相手の日本人が断りたがっていることがわからず頼み続けてしまい,気まずい雰囲気になってしまったという。

日本人はイエス/ノーをはっきり言わないと言われるが,意思表示をしていないのではなく,「察する」つまり言葉で明示しない場合でも,別の方法で意思を伝えているのである。

文化特有の意味が言語によらずに伝達されたり,言語の裏側に思わぬ違いが潜んでいたりすることが多い。周りに外国の人々が増え,日本語によるさまざまなかかわりが起こっている。異文化の人々との出会いでは,言葉で表されるものだけでなく,お互いの行動や思考の背景にある違いにまで思いを巡らせる余裕が必要だろう。

(小河原 義朗)


(平成14年に共同通信社より全国各紙に配信。)
※このコーナーは国立国語研究所員が書いた文章を,発行元の許可を得て転載するものです。

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。