国語研の窓

第17号(2003年10月1日発行)

暮らしに生きることば

「私はいくつ?」

まだよちよち歩きの娘を連れて散歩をしていると,通りすがりの人が娘に「私はいくつ?」などと話しかけてくれることがあります。さて,この場合の「私」は一体誰のことを指すのでしょうか。

「私,僕,あなた,君」は人称代名詞と呼ばれる語です。「私,僕」の類は話し手が自分自身を指す表現で,「あなた,君」は話し相手(聞き手)を指します。

しかし,前述の「私はいくつ?」の場面では,話し手(=通りすがりの人)が話し相手(=娘)に向かって年齢を尋ね,自分自身ではなく,話し相手を指して「私」と言っています。「私」は話し手自身を表すというルールから考えると,この「私はいくつ?」の「私」の使い方は論理的におかしいように感じます。

次に,母親が自分の子どもに向かって,「ママは今忙しいから,しばらく一人で遊んでね」と言うときを考えてみましょう。このとき,母親にとっての「ママ」は論理的には母親の母親(=子どもにとっての祖母)になるはずで,この例もよく考えてみると奇妙な感じがします。

しかし,子どもを相手にした会話では,このような例は日常ごく当たり前に受け取られていて,理屈にあわないと疑問に思うことすらないかもしれません。

このような現象は研究者によっていろいろな解釈がされているようです。たとえば,大人が子どもに向かって話す場合,子どもと心理的に同調し,子どもの立場(視点)と自分の立場を同一化しているという説明もされています(鈴木孝夫著『ことばと文化』岩波新書)。

この説明にしたがうと,「私はいくつ?」の例では,通行人は話し相手(私の娘)を自分の立場から捉えずに,私の娘の立場に同調したと解釈できます。娘から見た娘自身は当然「私」と呼べますから,娘の立場に立った通行人は娘を「私」と呼ぶことができるわけです。

同じように,「ママ」の例も母親が自分の子どもの目を通して自分自身を見ていると考えれば理解できるでしょう。

(福永 由佳)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。