第21号(2004年10月1日発行)
「せわしない」はどうして「ない」がついても「せわしい」と同じ意味になるのでしょうか。
普通は「ない」がつくと否定の意味を思い浮かべます。例えば,「遠慮なく食べる」「遠慮して食べない」と言うとき,「遠慮なく」や「食べない」は「ない」がついて否定を表しています。細かく言えば,前者は形容詞の「ない」,後者は助動詞の「ない」という違いはありますが,いずれも否定を意味します。
中には,否定を表す「ない」がついているにも関わらず,結果的に否定の意味にならないような言葉もあります。それは「極まりない」です。「危険極まる話だ」「危険極まりない話だ」と言うとき,どちらも非常に危険であることを言っています。「極まりない」は「極まり」を「ない」で否定してできた言葉です。厳密には「極まりがない(=果てがない)」と否定している方が「極まる(=果てまでくる)」より程度が上ということになるのかもしれませんが,どちらも度合いが非常に高いと言っている点に変わりはありません。これは特別な否定の例と言えるでしょう。
さて,普通は「ない」がつけばその否定を表すものだと考えれば「せわしない」も「せわしい」の否定の意味になりそうなものです。しかしながら「年末は何かとせわしい」「年末は何かとせわしない」と言えば,たしかにどちらも同じく忙しいことを言っています。「せわしない」はなぜ否定の意味にならないのでしょうか。
実は,「ない」には否定を表す「ない」のほかに,強調を表す別語の「ない」があるのです。「せわしない」にはこの別語の「ない」がついているので,否定の意味は全くなく,「せわしい」と同じような意味になっています。「満遍なく」も同じ強調を表す「ない」のつく言葉です。「満遍なく」の方が「満遍に」よりもよく使われますが,例えば「日の光が満遍なく当たるようにする」は「満遍に当たるようにする」とも言え,どちらも同じく日の光がよく行き渡るようにすることを言っています。
逆引き辞典という,言葉を後ろから引くことのできる辞典があります。これを使うと「ない」で終わる言葉を一覧することができます。辞書を引けば,「せわしない」のように強調を表す「ない」のつく語として,ほかに「いたいけない」「切ない」「はしたない」などの言葉も見つけることができます。
(柏野 和佳子)
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。