第24号(2005年7月1日発行)
これは,平成13年10月,米大リーグでの一年目のシーズンを終えて帰国した新庄剛志選手(現日本ハム)が,記者会見で一年の感想を聞かれた際のセリフです。このセリフを聞いてこう思った人もいたのではないでしょうか。
「『全然,納得いってます』なんていう日本語はない。『全然』はその後に否定が来ないといけないんだから。『全然,納得いってません』みたいに……」
確かに,書店に数多く並ぶ「言葉の乱れ」「間違った日本語」を扱った書物の中には,
のように書いてあるものが少なくありません。学校で国語の時間に,先生からそのように言われた記憶のある人もいることと思います。
さて国語の時間といえば,現在多くの高校用国語教科書の教材となっている芥川龍之介の『羅生門』に,次のような一節があります。
「全然」があるのにその後に否定の表現がありません。これはどういうことでしょう。文豪芥川も,ついうっかり「最近の若い人」並みの「間違った言葉遣い」をしてしまったのでしょうか。
実はそうではないのです。『羅生門』が書かれたのは大正4年ですが,明治から大正,昭和のはじめにかけては,「全然」は〈完全に,100%〉という意味で否定でも肯定でも使われていたのです。例えば児童教育の専門誌『児童研究』には「其行為ト意志トハ,全然健康ニシテ」「全然痛覚ノ正常ナリシコト」(明41)「主観と対象とは全然一つとなりて」(大9)のような,また『東京日日新聞』(のちに『毎日新聞』が吸収)の記事では「全然据置に決定した」(昭3)「全然新たな基準」「全然その趣旨に賛成」「方針は全然同一である」(昭13)といった例があります。芥川と同時代の作家の作品にも珍しくありません。大正の終わりごろから否定を伴う例が多くなってきますが,それが正しい用法だ,と言われるようになるのは戦後になってからです。
『羅生門』の「全然」について,市販の生徒用自習書(いわゆるトラの巻,あるいはアンチョコ……今はどちらも死語?)を見ると,次のように説明しているものがあります。
これらの記述はいずれも不適切です。「全然」は「本来」打ち消しの語を伴う副詞というわけではありません。そして大正4年の作品に現在の国語の規範をあてはめて,「原則を破った」「破格」などというレッテルを貼(は)るのも正当ではありません。
現在の国語の規範は尊重されるべきでしょう。しかしそれが「本来の」用法かどうかは日本語の歴史の中での実態を調べてみなくてはならず,軽々しく判断はできません。また現在の規範を過去にあてはめることも慎重であるべきなのです。
なお冒頭の新庄選手の発言には後日談があります。翌日のあるスポーツ紙の記事では,「全然,納得いってない」と180度逆になっていたのです。恐らくこの記事を書いた記者は,新庄選手の口から「全然」が出た時点で最後は否定が来ると思い込み,このように聞き取ってしまったのでしょう。
(新野 直哉)
(平成15年『文教ニュース』1712号掲載の文章をもとにしました)
*このコーナーは国立国語研究所員が書いた文章を,発行元の許可を得て転載するものです。
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