第25号(2005年10月1日発行)
同じことを表現するのにも,土地によって言い方が違うことがあります。例えば「昨日は役場に行かなかった」と言うときの「行かなかった」を関西地方では行カナンダとか行カンカッタ,中国地方では行カザッタと言います。同じ日本語でも,「なかった」に当たる部分にナンダ・ンカッタ・ザッタなど,いろいろな言い方があるわけです。このような異なりは,方言による違いと呼ばれます。
「関西地方」とか「中国地方」と書きましたが,それでは大雑把です。そこで,使われている場所を地名で示し,語形との関係を次のように一覧にすれば,正確になると考えられます。
―ナンダ 京都府竹野郡丹後町肯安
―ナンダ 兵庫県美方郡温泉町湯
―ナンダ 滋賀県伊香郡西浅井町塩津浜
―ナンダ 三重県員弁郡藤原町坂本
―ナンダ 大阪府豊能郡能勢町吉野
―ザッタ 島根県隠岐郡五箇村大字北方字岳野
―ザッタ 広島県山県郡大朝町字間所
―ザッタ 山口県阿武郡須佐町下三原上
―ザッタ 鳥取県東伯郡大栄町大字由良宿
―ザッタ 岡山県新見市菅生西谷
―ザッタ 愛媛県東予市周布
―ンカッタ 新潟県佐渡郡相川町下相川
―ンカッタ 富山県東礪波郡利賀村利賀
―ンカッタ 山口県阿武郡須佐町下三原上
―ンカッタ 大阪府泉南郡阪南町鳥取
―ンカッタ 三重県志摩郡大王町波切
―ンカッタ 宮崎県東臼杵郡北浦町大字古江字地下
確かにこれはこれで正確かも知れません。しかし,それぞれの語形の使われている場所を把握するのが困難です。それは,地名とその位置がすぐに結びつかないからです。そんなときに役に立つのが地図です。住宅地図などを見ると,そこにあるのが誰の家なのかとか,店の名前が何なのかが分かるようになっています。それにならって,地図の上に方言の語形を書き込んでみましょう。
なんだかゴチャゴチャして,よけいに分からなくなってしまいました。
図1 「(行か)なかった」の各地の語形
地形図のような地図では,「文」で小中学校,「◎」で役所,「卍」で寺院のように記号でその場所にあるものを表現しています。
この方法を参考にして,方言の語形を記号に置き換えてみましょう。ただし,方言の形は,何を対象とするか(ここでは「(行か)なかった」を扱っていますが,「(行か)ない」や「(行き)たい」「(行き)たかった」「行け」など,ほかにも様々な対象が考えられます)によって,かなりの数にのぼりますので,地形図のように一定の手順で記号を与えることはできません。
そこで,まずは,「(行か)なかった」に当たるナンダ・ンカッタ・ザッタなどを分類・整理します。そして,例えば,ナンダの仲間には赤色の長方形を与えることにし,その上で,ナンダの仲間どうしの違いは,塗りつぶし方などで区別することにします。このような手続きを順次ほどこし,語形を記号に置き換えて地図にしたのが,図2です。
これだと分布がよく分かります。東日本には,共通語形のナカッタ類が広く見られます。ナンダ類は,近畿を中心としながら,東は中部,西は中国や四国の一部にまで広がっています。ザッタ類は,ナンダ類の西側に見られ,ンカッタ類はナンダ類やザッタ類をとりまくように分布しています。
ここに挙げた地図は,国立国語研究所が編集している『方言文法全国地図』の中の一枚を簡略化したものです。『方言文法全国地図』には,より詳細な地図が300枚以上収録されています。
図2 「(行か)なかった」
それでは,このような方言の地図から何が分かるのでしょうか。
これまでおもに分析されてきたのは,言葉の歴史です。詳しくは,解説するスペースがありませんが,地図から読み取ることのできる歴史は,「(文化的)中心地の歴史」と「各地の歴史」に分かれます。分布をもとに両方向から歴史に接近することができます。興味のある方は,ともに国立国語研究所編集の『新「ことば」シリーズ16 ことばの地域差―方言は今―』や『ことばビデオシリーズ3 方言の旅』などを参考にして下さい。
また,これからは,GIS(地理情報システム)を応用して,方言の分布と地形や人口密度といった言語以外の地理的情報とを比較する研究も盛んに行われるようになることでしょう。
(大西 拓一郎)
方言研究の部屋:http://www.kokken.go.jp/hogen/
新「ことば」シリーズ:http://www.kokken.go.jp/kanko/shin_kotoba_series/
「ことばビデオ」シリーズ:http://www.kokken.go.jp/kanko/kotoba_video/
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