国語研の窓

第29号(2006年10月1日発行)

コラム

読み手に直接,語りかけてもいいですか?

中国の人が日本語で書いた文章を読んでいると,以下のような「読み手に直接語りかける表現」に出会うことがしばしばあります。

もちろん,「たばこは万病のもと」ではありませんから(私はそうと思いますけど),たばこを吸う人にきびしすぎないようにして下さいよ。

中国語では,例えば新聞の社説のような硬い文章においても,こうした「語りかけ表現」が使われるのは珍しいことではないようです。

一方日本人の書いた文章には,手紙など特定の人に宛てたものを除けば,「語りかけ表現」が現れることはそう多くはありません。先ほどの文章を複数の日本人に添削してもらったところ,末尾部分は多くの人が,例えば「きびしすぎないようにしてほしい」のような,「語りかけ」でない形に訂正していました。文章での「語りかけ」は,できれば避けるべきだと考えている人が多いようです。

しかし,改めて考えてみましょう。日本人が文章で「語りかけ表現」をあまり使わないのは,いったいなぜなのでしょう。自分の意見を訴えていく,という目的の文章であれば,ひとりひとりの読み手に対し直接語りかけるという表現方法も,あっていいのではないか,その方が,訴えの力は強くなるのではないか もし,日本語の学生が面と向かってそのように問うてきたとしたら,あなたならどう答えますか(おや,私も「語りかけ表現」を使ってしまいました)。

この問いに対してはいろんな回答があり得ると思いますが,とりあえず私なら以下のように答えます。「『きびしすぎないようにして下さい』と語りかけることは,読み手を『たばこを吸う人に対し,きびしい考えを持っている人だ』と規定してしまうことになる。実際にはいろいろな読み手がいるだろうから,読み手を一方的に規定してしまうような表現は,私としては避けたいと思っている」―。

ですから,文章中の「語りかけ表現」が,常におかしいわけではありません。先ほど私自身も「語りかけ表現」を使いました。文章の読み手に対し,文章読解における何らかの方向性を提示するような「語りかけ」であれば,読み手がどういう人であるかを一方的に規定することにはならないので,あまり強い違和感は出ないのだろうと思われます。

特定の相手を想定して,その相手に直接語りかける,というやり方は,訴えかけの力は強い一方,想定された語りかけの対象からややずれる人々からは,違和感を持たれたり反発を買ったりする危険性もあります。もちろんその危険性を知った上で,あえてそうした表現法を取る,という選択肢も否定はできません。どういう訴えかけのやり方を取るのがよいか―それは一概に言えることでなく,訴えかけの内容や,実際にどういう読み手が予想できるのか,ということを考え合わせた上で判断すべきことなのでしょう。

われわれは,「ふだん自分は使わない」という表現に出会うと,つい違和感を持ってしまいがちです。場合によってはそれが不快感になってしまうこともあるかもしれません。そのようなとき,「そんな表現はおかしい」と否定してしまう前に,「なぜ自分は,その表現をおかしいと感じるのだろう」「この人は,どうしてこういう表現をしたのだろう」と考えてみることは,非常に重要なことだと思います。違和感の理由を考えてみる,ということは,ことばについて,また人とのよりよい付きあい方について,考えを深めるための絶好の手段になるからです。

(宇佐美 洋)


このコーナーは国立国語研究所員が書いた文章を,発行元の許可を得て転載するものです。
『文化庁月報』平成17年12月号「言葉をみつめる」より転載

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。