国語研の窓

第31号(2007年4月1日発行)

文字さんぽ

さくら

春になるとサクラが咲き,日本各地のサクラの名所が賑(にぎ)わいます。サクラは,万葉の昔から詩歌に詠まれ,
愛(め)でる花として親しまれてきました。最近は女の子の名前で,さくらちゃんが好まれています。

「桜(櫻)」の字を漢和辞典で引いてみると,一番初めに「ゆすらうめ」(桜桃)という意味が出てきます。「さくら」は,漢字が持つ本来の意味(古典中国語での意味)とは違って日本だけで通用する意味(国訓)として,「ゆすらうめ」の次に出てきます。つまり,古い時代の中国語では,「桜(櫻)」の字はユスラウメを表す文字で,わたしたちが親しんでいるあのサクラを表す文字ではないのです。

もともとユスラウメを表す文字を,サクラの文字として使っていることに違和感を覚え,我慢できなくなった人もいます。江戸時代の花陰散人(かいんさんじん)という人は,自分でサクラを表す文字を作ってしまいました。「木」と「色」と「香」を組み合わせた文字です。

kou

花陰散人は『kou字説(こうじせつ)』という本を書いて,自作のサクラの文字を解説しています。内容を簡単に紹介します。

日本を代表する花であるサクラに専用の文字がないのはよろしくない。サクラは色も香りもとても良い花であるから,「木」と「色」と「香」を組み合わせて,サクラの文字にしよう。そもそも「kou」の字は,私の夢に菅原道真公が現れて,サクラを表わす専用の文字がないことを悲しみ,サクラに「kou」の字を使うようお告げを下されたのだ。

花陰散人は『kou字説』を天満宮に奉納し,この文字が受け入れられることを祈りました。しかし,この文字は全く普及しませんでした。サクラは今でも「桜(櫻)」のままです。

江戸時代には,サクラは日本固有の花だと信じられていました。サクラは固有の花だから,それを表すための固有の文字が必要だと,花陰散人は考えたのでしょう。でも,サクラは日本固有の花ではありませんでした。そして,花陰散人(江戸時代)や菅原道真(平安時代)が親しんだサクラ―ヤマザクラは,わたしたちが思い浮かべるあのサクラ―ソメイヨシノとは品種が違います。

「桜(櫻)」の字は,古い時代の中国語ではユスラウメを表し,昔の日本ならばヤマザクラ,現代ではソメイヨシノに代表されるサクラを表す文字です。植物の漢字は,時代と地域によって表すものが変わり,複雑です。

(高田 智和)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。