第32号(2007年7月1日発行)
地名を書き表す文字の中には,ある特定の地域や場所にだけ使われている文字があります。このような文字を「方言文字」とか「地域文字」などと呼びます。
筆者が生まれ育った新潟にも方言文字があります。「潟」の代わりに使われる「」という略字です。かつて「
」は,『日本語の現場』(読売新聞社会部編,1976年刊)で,道路案内標識でも広く使われている,新潟の方言文字として紹介されました。今から20年くらい前,筆者が小学生のころに,道路標識の青い看板で「新
」と書かれているのを見た記憶があります。でも,いつのころからか,道路標識から「新
」は消えてしまい,今では「新潟」と書かれているものしか見あたらなくなりました。
江戸時代の板本(印刷本)を読んでいると,「」の字に出くわすことがあります。例えば,松尾芭蕉の『おくのほそ道』(元禄15年刊)や,上田秋成の『雨月物語』(安永5年刊)では,「象潟(きさかた)」(秋田県)の「潟」が「
」で書かれています。江戸時代には,「
」は新潟限定の方言文字ではなく,出版物でも使われるくらいの使用域の広がりを持つ文字だったことがわかります。
明治以降,出版物の主流は活版印刷に移ります。『明朝体活字字形一覧』に収録された23種の活字総数見本帳(販売用の活字一覧表)には,「潟」はありますが,「」はありません。漢和辞典に載っていて「正字」とされる「潟」に「共通字化」され,略字の「
」は印刷の世界から消えてしまいました。一方で,地名を書くために日常的に使う新潟では,「
」は方言文字として昭和に入っても残り続けました。
では,平成の現在,方言文字「」はどうなっているのでしょうか。道路標識では消えてしまいましたが,街中でもまれに見ることができます。上はスクールゾーンの標示です。下は自動販売機の住所標示で,手書きです。
筆者撮影(2006年10月)
最後に,看板や標識とは違い,不特定多数の目にさらされない手書きの世界をのぞいてみましょう。筆者の父宛の年賀状の住所表記には,「」が使われているものがあります。差出人は,40代から70代にかけて,新潟県出身者に限られます。ちなみに, 30代の新潟県在住者からの筆者宛の年賀状では,すべて「潟」が使われています。「
」の使用には世代差があり,手書きの世界でも「共通字化」が進んでいるようです。
(高田 智和)
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。