国語研の窓

第34号(2008年1月1日発行)

暮らしに生きることば

身に覚えがないことは「~していません」

「昨日の試合見た?」と聞かれたらあなたは何と答えますか。「いや,見ませんでした」とも「いや,見てません」とも答えることができます。「~しましたか?」には,「~しませんでした」とも「~していません」とも答えることができます。しかし,いつもどちらも答えることができるわけではありません。

よく刑事ドラマなどで「お前がやったんだろ!」のような尋問シーンがありますが,その返答は必ず「やってません!」であり,「やりませんでした!」とは言いません。「やりませんでした」と言うと,その場にいたが自分はやらなかったか,もっと言えばやるつもりだったがやらなかったというニュアンスになってしまいます。身に覚えがないことには「~していません」としか言えません。痴漢冤罪(えんざい)を扱った「それでもボクはやってない」という映画がありましたが,この題名が「それでもボクはやらなかった」だと日本語としては正しくても,何だか違和感があるのも同じ理由からです。

ところで,外国人に対する日本語教育では,「お昼食べましたか?」のような質問に「いいえ」と答えるとき,「食べませんでした」と「食べてません」と答えが分かれることをよく取り上げます。「食べませんでした」の場合,夕方くらいには「(今日は忙しかったので)食べませんでした」と答え,「食べてません」の場合,お昼過ぎくらいには「(今の時点では)食べてません(が,後で食べるかも)」と答えるという説明です。もちろん,この「まだ~していません」という用法も大切なのですが,実際の会話場面では身に覚えがない場合の「~していません」という用法もよく使われます。

最初の「昨日の試合見た?」にもう一度戻ってみましょう。野球好きの人なら,昨日,大変盛り上がった試合があったことは知っているので,「いやー,見ませんでした」などと言います。しかし,野球に大して興味がない人は,何の試合のことやらわからないので,「…いや,見てませんね」としか答えようがないことでしょう。

(森 篤嗣)

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。