国語研の窓

第38号(2009年1月1日発行)

研究室から:『現代日本語書き言葉均衡コーパス』進捗報告(3)

コーパスに取り込む文章は,すでに印刷されて世の中に出回っている本・雑誌・新聞等から選ばれます。公刊されているすべての文章には「著作権」があるため,著作権サブグループではサンプリング対象の文章が決まると,その著作権者に連絡をとり,コーパス構築に文章を使わせてもらうための許諾を得る作業をしています。このように研究目的で大量に著作権処理を施すということはおそらく日本で初めてのことと思われ,私たちは手探りで著作権処理に着手しました。2006年度のプロジェクト開始から 2年,ようやく作業も軌道に乗るようになり,同時に現在の法制度の下での著作権処理の問題点も見えてきました。ここでは,作業の流れに沿って見ていきましょう。

第一の関門:著作権を持つのは誰?

著作権は,基本的にはその文章を書いた人にあります。しかし著作権は他人に譲渡できますし,煩雑な処理事務を誰かに委託している場合もありますので,実際に連絡をとらなければならない相手は著者とは限りません。著者の遺族だったり,あるいは著作権管理者だったり,様々です。また,一つの文章の著作権者が一人とは限りません。グループで本をまとめた場合,複数の人で一つの文章を練り上げているかもしれませんし,本全体の編者と個々の文章の著者との両方の権利があるなど,一つの文章に複数の著作権者がいる場合もあります。このように,本の奥付や目次を見ただけでは誰が著作権者かわからないことも少なくありません。著作権者を特定するだけでも,なかなかに手間がかかります。

第二の関門:どうやって著作権者に連絡をとる?

著作権者が特定されると,その人に文章の使用許諾の依頼をするのですが,ここで次の問題が起こります。著作権者の住所を調べることが困難なため,許諾依頼の連絡がなかなかできないということです。平成15年に「個人情報の保護に関する法律」が施行されて以来,個人の住所などが一般に出回ることがほとんどなくなりました。そのため,私たちは,数少ない市販の名簿類やインターネット検索などを使って連絡先を探していますが,それで住所がわかるとはかぎりません。そこで,著作権者が所属している団体や本の出版社を経由して,このコーパスでの利用に関する許諾依頼状を転送していただいています。こうした転送作業は各団体にとって大変な負担ですが,著作権者の住所を無断で私たちに知らせることはできないため,このような方法を採らざるを得ません。各団体の理解・協力を得てなんとか著作権者への連絡を進めていますが,すべての団体にご協力いただけるわけではありませんので,連絡先不明とせざるを得ないこともあります。

著作権処理作業の進捗

著作権処理作業の進捗

図は2008年11月現在の著作権処理作業の進み具合です。ここからわかるように,著作権者に連絡さえつけば,かなりの確率で使用許諾が得られています。全体の33%が「連絡先調査中」となっていますが,それだけ著作権者の連絡先を調べることに手間がかかっているということを示しています。要するに著作権処理にあたっては,著作権者を特定し,連絡先を調べるところに困難があるのだということがわかってきました。

著作権法の改正への期待

現在,内閣に設置されている知的財産戦略本部と文化審議会とが連携し,著作権法の見直しの議論を進めています。そこで課題となっているものの一つに,公共的な目的のために非営利で著作物を使用する際の,使いやすさの向上があります。こうした手だてを「日本版フェアユース規定」と称し,著作権者の権利を不当に侵害しないのであれば,著作権処理をしなくても著作物を利用してよいとする考え方を取り込む方向で議論が進められています。

また,著者への連絡を円滑にするため,著作権者団体が共同で連絡先を集約するデータベース「創作者団体ポータルサイト」を構築する構想が出ており,これも大いに期待されます。

現状では,使用者側には正当に権利処理をしたいと思っても権利者になかなか連絡がとれないというジレンマがあり,一方の権利者側には手続きが煩雑なゆえに無断で作品を使われたり,逆に使うことを断念されたりといった不利益が生じています。当プロジェクトでは著作権処理業務の経験を積極的に発信していますが,こうした経験の蓄積が著作権処理に伴う問題の前向きな解決のために活かされれば,30,000件に及ぶ著作権処理に従事する私たちも,苦労が報われます。

(森本 祥子)

  国立国語研究所の言語コーパス整備計画KOTONOHA:http://www.kokken.go.jp/kotonoha/

  科学研究費特定領域研究「日本語コーパス」:http://www.tokuteicorpus.jp/

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。