ことばの疑問

「おぼえる」の漢字表記

2015.04.30 山田貞雄

質問

中学1年の子が、「英単語を おぼえる」という書き取りの回答に「憶える」と書いたら、「覚える」が正しい、と減点されてきました。この採点はまちがっていませんか。正しいとしたら、どうしてでしょうか。

回答

小学校では、「学年配当表漢字」といって段階的に常用漢字の中から選んだ漢字を学習することを義務づけています。「おぼえる」の訓を持つ漢字は、常用漢字表の中では漢字「覚」だけで、漢字「憶」には、「オク」という音読みだけがあって、それ以上を示していません。おそらく採点の基準はそこにあるのでしょう。

さて、われわれの実生活では、「記憶」といった熟語から、その訓(和語による意味)をおぼろげながらも、つかんでいるので、「憶える」とあって「おぼえる」と読めない、ということはほとんどないでしょう。成人の感覚からすれば、「そんな殺生な、立派に『おぼえる』とよめるじゃないか。」と言いたいところです。

ただし、もともとの漢字漢語の世界での二字間の意味の区別は、必ずしも和語の訓の世界に対応しないのです。たとえば、漢字「憶」の特徴的な意味として、「心の中におもって忘れない。」ということがあります。これは「意」「顧」「思」「想」「念」などの字義(語義)との兼ね合いで、特徴的といえるのです。漢字「覚」はむしろ「わかる(感知する・気づく)」の意の「おぼえる」だったようです。

さらに、二字の上に起こった日本での訓の世界では、歴史的に各字別々の変遷をたどっています。「覚」の訓としては、平安時代から近世まで通じて「おもう」とともに「おぼゆ・おぼゆる」がありました。一方「憶」の訓としては、平安時代には「おぼゆ」がありましたが、その後字書には「おもう」があっても「おぼゆ」のないということがありました。

こういった背景を踏まえて常用漢字表の漢字の音訓が、ある程度精選され、あるいは制限されている、ということは事実です。このことは、由緒や経緯を大切にする、ということと、無駄やわかりにくさを少なくする、という発想が、ともに働いている、と言えましょう。

さて、国語科の言語事項に限らず、教育学習の場では、知識情報の優先順位が常に考えられているともいえます。敢えて意地の悪い言い方をすれば「『覚える』を自由自在に読み書きできないのでは、『憶える』をその場で書けても偉くない。」という採点意図ともとれましょう。これは「記憶」からの類推でその場をしのげたのかどうか、といった問題ではなく、むしろ、考査の最大の目的は、基本的な知識の定着をはかることだ、という理由からです。

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。