最近テレビなどで、単に「全然おいしい」「全然大丈夫」などとする表現が、しばしば使われて気になります。私は昔、学校で、「全然」は否定の表現でだけ使うものだ、と習ったような気がしますが。
副詞「全然」の語史を探ってみると、おそらく最初の用法は江戸時代で、日本語にしては、比較的新しい言葉です。文字通り「すべて、まるまる全部」の意味でした。中国語のその当時の近現代語であった、白話から始まった使い方で、和語でいえば「すべて・すっかり」に相当するものでした。
日本語での当初の表現では、「全然」という漢語に、和語「ねっから」「すっかり」「そっくり」といった振り仮名をふったものも多かったそうです。その時点で漢語の「ゼンゼン」という語形が、世間に馴染んでいたかどうかは、定かではありません。またこの用法は、肯定否定に関わらず、言ってみれば、「全然了解した。」(:まるごと全部(了解した・)イエスだ。)でも、「全然了解せず。」(:すべて(了解しない・)ノーだ。)でも、どちらもあり得る用法だったのです。
漢語「全然(ゼンゼン)」の用法は、明治期も後半を過ぎてくると、意味も変化して「(少しは認めるかと思ったのに)ちっとも・なんにも、了解しなかった。」という、ニュアンスを含んだ言い方で多く用いるようになっていたそうです。このことは、学校で規則のように徹底して教えられたため、現代でも多くの人が、「『全然』を肯定で使ってはいけない。」という教えとして、強く記憶に残っているというのです。
さて、戦後以来、現代ではすっかり認知を得たかのように、そこここで聞かれる「全然おいしい」の類は、上の二つのいずれとも違います。
まず、前者「残らず全部・まるまる・すっかり・そっくり」の用法と違う点は、現代では、それが一部分なのか全部なのか、は全く問題ではなく、単に強調しているだけです。言い換えれば「非常に・とっても」でしょう。レストランで「全然おいしい」といって褒めているつもりの人は、その品目“全部”、とか、その皿に盛られた食品・食材の“全て”、などと言っているのではなく、単に、「“すごく”おいしい」としているだけです。
次に後者の、ニュアンスを含んだ言い方との違いは、当然ですが肯定表現を強調しているという点です。さらに特徴的なのは、「話し言葉」で多く用いる、ということです。
質問者の感じているのは、わざとここで言い換えれば、「ちっとも、おいしい」と意味の通じないことを言っているような、違和感でしょう。そのような取られ方をする恐れがあるからこそ、新聞記者用のハンドブックや、実用を大事にする実践的な国語辞典では、「全然楽しい」の類は、御法度とするのだと思われます。
さて現代、「全然美味しい」という場合、「たいして美味しいとは思っていなかったけれども、意外にも・存外・結構いただける」という別のニュアンスを含んでいる場合があります。「全然大丈夫」という場合は、もっと自然で、「(相手から抱かれる)大丈夫かどうかの心配・憂慮・危惧に反して、大丈夫だ」というニュアンスがあります。これら、いわば前提を覆す、ニュアンスのある用法は、単なる強調用法とは、異なります。
実際の言語生活は、そこに至るまでの会話の文脈や、声の大きさ・イントネーション、あるいは表情や身振り手振りを伴います。「全然」の意味用法をあらためて整理しなおさなくても、単なる強調の用法はそのままに通じます。しかし、文字通りの文字情報である、書き言葉の場合はどうでしょうか。何度も読み返すこともあるでしょう。さらに書き言葉でなくても、不特定の人に、余念を許さず、間違いなく内容を伝えたい、といった場面もあります。そういう場面には、ふさわしくないこともあるのです。