日本語で外来語が多いのはなぜですか。他の言語では、外来語をどのように取り入れていますか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
先ごろ日本で、女性用履物として「ミュール」というのがはやりました。これは英語またはフランス語の「mule」からの借用なのですが、日本語ではこの語を、どういう音の形で受け入れるか(言い換えればどういうカタカナで書き表せばいいか)ということさえ決めれば、それだけでこの語が使えてしまいます。
しかしフランス語に日本語の「下駄」が借用されたときには、そう簡単にはいきませんでした。フランス語をはじめとする多くのヨーロッパ語ではすべての名詞が「性」を持っており、どの性に属するかによって、その名詞を修飾する形容詞の形や名詞を受ける代名詞の形が違ってきます。このため外来語でも性が決まらなければその語が使えないのです。
外来語をはじめとする新語の性は、その単語が使われているうちに何となく決まっていくものなのですが、名詞の性を決めるための必然的な手掛かりというものがあるわけではありません。今でもフランス語では、下駄は男性が履くもの、というイメージが強いために男性扱いとされたり、ラテン語で-aで終わる単数名詞はほとんど女性名詞、という理由から女性扱いとなったりと、共通認識はまだ得られていないようです。
また言語によっては、品詞(名詞、動詞、形容詞、といった、文法的機能による単語のグループ分け)ごとに固有の語尾が決まっており、外国語から単語を取り入れる際には、その単語がその語尾で終わるよう、語形そのものを調整しなければならないこともあります。例えばロシア語では、形容詞は-ɨj(-ウィイ)という語尾を持つことに決まっているので、フランス語から「serieux」(重大な、深刻な)という形容詞を借用したときには、これを「serijoznɨj」という形に変形しなければなりませんでした。原語の基本の形をそのまま素直に受け入れればいい日本語に比べ、随分ややこしい変形をしていることが見て取れると思います。
一方ではタイ語のように、単語が基本的に語形変化しない言語もあります。この種の言語で単語の文法的機能は、もっぱら語順と文脈によって決まります。例えば「行く」という動詞の後ろに「乗り物」を表す名詞が来ていれば、その名詞は「手段(~によって)」という機能を持ち、「場所」を表す名詞が来ていれば、それは「目的地(~まで)」という機能を与えられるのです。こうした文法的機能は、形の上では表現されません。
こういう言語では、語形変化がない分、外来語を取り入れるのが楽であるように思えます。しかし実際はそうでもありません。こうした言語において単語の文法的機能は、「その単語の意味と、周りにある単語の意味との関係」によって決まります。ですから、文中に外来語のような意味の分からない単語があると、その単語が周囲の語とどういう文法的つながりを持っているのかが分からなくなり、結果として文全体の構造もとらえにくくなってしまう可能性が高いのです。
ひるがえって、日本語はどうでしょう。日本語は、単語そのものは語形変化せず、単語に助詞や接辞などを直接張り付ける、というやり方によって文法的機能を表示します。ですから、仮に単語自体の意味は分からなくても、「○○して」のように、単語の後ろに「する」の変化形が接続していれば、それ全体で動詞としての働きを持っていることは分かりますし、「△△な」であれば形容動詞として使われていることは明らかです。「××は」「××を」のように、単語に助詞が直接接続していれば名詞であることが分かり、さらに、その単語が文の主語なのか、動詞の目的語なのか、という「文中での機能」も一目瞭然です。
このように、「単語本体と、文法的機能を表す部分とが分けて表現される」という日本語の文法的特質は、外来語をはじめとする「新語」の受け入れにおいては大きな効力を発揮します。一般にどの言語でも、名詞が最も借用しやすく、その他の品詞が借用される例はそう多くはないのですが、日本語では「グローバルな」のような形容動詞、「アクセスする」のような動詞も取り入れることができていますし、またそのような借用を行っても、文の構造は明瞭に表現され得るのです。
(宇佐美 洋)