時代の変化に付いていくには外来語を使っていくことが必要だと思いますが、分かりにくい外来語を使うと、円滑な伝え合いの障害になるようにも感じます。どのようなことに気を付ければいいでしょうか。※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
西洋文化が、日本社会に広く普及した大正時代ごろから、西洋起源の言葉をカタカナで表記した外来語が、一般社会にも大量に広まるようになり、その後、外来語は次々に流入してきています。現代は、英語圏を中心とした地球規模の経済活動がより活発化し、外来語の流入の激しさを一層強く感じる人が多いようです。
外来語の多くは、現代の日本社会にとって役に立つ新しい事物や概念を表す言葉であり、日本語や日本社会を豊かにしてくれる側面を持っています。しかし、従来なかった言葉が次々に入ってくれば、その言葉を分かりにくいと感じたり、言葉を覚えられなかったりする場合も出てきます。円滑な伝え合いのためには、外来語の良い面を生かしつつ、分かりにくい面を解消していく工夫が求められます。
例えば、1960年代から70年代に一般に広まり始めた外来語に「プライバシー」と「アイデンティティー」という言葉があります。この二つの言葉が、一般にどの程度定着しているのかについて、2002年に国立国語研究所と文化庁とで実施した「外来語定着度調査」の結果を紹介します(注)。この調査は、外来語を一つ一つ示して、その言葉を見聞きしたことがあるかどうかを尋ね、「ある」と答えた人に対して、意味が「分かる」「何となく分かる」「分からない」の選択肢から選んでもらう方式で実施しました。調査結果は表の通りです。
外来語の分かりにくさについて考えるために、表の「分かる」の数値に着眼してみましょう。ほぼ同時期に日本に流入した外来語でありながら、その数十年後に「プライバシー」は9割以上の人に理解され十分に定着していていたのに対して、「アイデンティティー」は2割の人にしか理解されず定着していなかった様子が分かります。2020年現在でも、おそらく「アイデンティティー」の意味を理解している人の比率は、それほど高くなっていないと思われます。こうした意味を理解している人が少ない外来語は、相手や場面によって受け手に理解されず、伝え合いの障害になる可能性があります。
表では、「アイデンティティー」の意味が「分かる」人と「何となく分かる」人とが、ほぼ同じ比率になっていることも注目されます。「アイデンティティー」という言葉を知っている人同士の間でも、分かったようで分からないやり取りになってしまう危険があるわけです。
「アイデンティティー」のような、定着していない外来語は、まず、使う必要のある言葉かどうかを吟味し、使う必要があると思う場合は、相手や場面に応じて、その意味を説明しながら使うことが望まれます。
(注)「外来語定着度調査」は、日本人2,000~3,000人を対象に面接方式で行いました。調査結果は国立国語研究所の「外来語」委員会ホームページ(https://mmsrv.ninjal.ac.jp/gairaigo_yoron/) で公開しています。
(田中牧郎)