「流れに棹さす」などの慣用句に、最近異なる解釈の仕方が広がっていると聞きました。例えばどのような解釈があるのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
慣用句が本来の意味とは異なる意味で理解されたり、使われたりしているということが、よく話題になります。ここでは以下、「流れに棹さす」という慣用句を例に見ていきましょう。
「流れに棹さす」は、本来「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をすること」という意味で使われるものです。しかし最近は、「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をすること」という、本来の意味とは全く逆の意味で理解している人が増えています。下の図は、平成14年度に行われた文化庁の「国語に関する世論調査」から、「流れに棹さす」の意味の理解についての調査結果をまとめたものです。図では、本来の意味で理解している人、本来の意味とは異なる意味で理解している人、分からないと答えた人の割合を年代別に示しています。これを見ると、「流れに棹さす」を本来の意味とは異なる意味で理解している人の割合は、すべての年代で50%を超えていることが分かります。現代では、本来の意味とは異なる意味での理解が定着しつつあるようです。
この要因としては、まず日常生活で慣用句を使わなくなっているということが挙げられます。この「国語に関する世論調査」では、「流れに棹さす」を使うかどうかも尋ねています。その結果を見ると、使うと答えた人の割合は9.4%で、「流れに棹さす」は、現代ではほとんど使われていないということが分かります。また、「流れに棹さす」は、船を操るための棹を水底にさして、船を進めていく様子に由来するものですが、現在ではそのような光景を目にする機会がほとんどないということも関係していると思われます。
慣用句が本来の意味とは異なる意味で理解されるようになるという現象は、言葉の意味変化としてとらえられるものです。ある言葉があまり使われなくなったり、社会が変化したりすることなどによって、言葉の意味変化が引き起こされるということは、日本語の歴史の中に多く見られます。したがって、慣用句を本来の意味とは異なる意味で理解したり、使ったりすることを誤用と決めつけてしまうのではなく、言葉の変化として柔軟な視点で見ていくことも必要です。また、「流れに棹さす」などの慣用句の意味変化は、今まさにわたしたちの目の前で起こっている言葉の変化です。これを一つの材料として、言葉や言葉の変化について考えてみてはどうでしょうか。
しかしその一方で、言語文化の継承という面からは、慣用句の本来の意味などについて理解しておくことも求められます。特に古典をはじめとする文学作品の解釈のためには、本来の意味を知っておくことが必要です。日ごろから、慣用句など言語文化について関心を持ち、読書などを通して理解を深めておくことも必要なことと言えるでしょう。
(小椋秀樹)