アルバイト先で年上の同僚と友達のように話していると、店長に「年上に『です、ます』を使って話さないのは失礼だ」と言われました。「です、ます」だとかえって他人行儀な感じがするのですが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
相手は年上なのだから、「です、ます」を使った丁寧な言葉遣いをして敬意を示すべきだと、店長は思ったのだと考えられます。この店長と同じように「『です、ます』を使うこと = 丁寧な話し方 = 相手に対する尊敬の念を示している」という図式を思い浮かべる人は多いでしょう。
しかしながら、「です、ます」や敬語を使うなどの丁寧な言葉遣いは、相手に対する敬意だけでなく、相手との心理的なへだたりも同時に示すことになります。丁寧な言葉を使うということは、相手を高めるという行為を言葉によって行っています。したがって、高めた分だけ、相手との心理的な距離ができるというわけです。
例えば、ふだん、家族や同い年の友人に対しては丁寧な言葉遣いをすることはありませんが、そういう相手にあえて丁寧な話し方をすることで、どんな態度が伝わるでしょうか。連日帰りの遅い夫に妻が「今日は一体何時にお帰りになりますか」と言うとすれば、それは帰りの遅い夫への皮肉でしょうし、駄々をこねる子どもに母親が「もうこんな子、知りません」と言うのは、怒っている時でしょう。いずれも、相手を心理的に遠ざける態度が読み取れます。
このように、丁寧な言葉遣いをするかしないかには、相手に対する「敬意」と「心理的な距離」の二つの態度がかかわってきます。一方の敬意だけに焦点を当てると、丁寧に話さないのは失礼だということになりますし、心理的な距離の側面のみに目を向けると、丁寧な言葉は他人行儀な態度を示すということになりますが、実はこの二つは表裏一体をなしていて切り離せないものなのです。
言葉がどんなに丁寧でも、敬意どころか失礼な印象を受けることがあります。例えば、ポケットに手を突っ込んだまま話をする人からは、ぞんざいな印象を受けます。声高にはき捨てるような話し方とおだやかな声で遠慮がちに言いよどむ話し方とでは、言っていることは同じでも人に与える印象が随分異なります。また、どれくらいの距離を保って相手と話をするかという物理的な距離は、その人に対する心理的な距離の反映である場合もあります。このように、声の調子や体の動きといった、言葉以外のいろいろな手段によっても私たちは敬意や親しさなどの目に見えない態度や気持ちを伝えたり受け取ったりしているのです。
さらに、自分から何かを言うときだけでなく、話の聞き方によっても受ける印象は変わってきます。そっぽを向いてあいづちも打たない聞き手を前にすると、話を続ける気がなくなります。場合によっては、軽んじられているような気持ちになることもあるでしょう。一方、あいづちを頻繁に打ち、にこやかに耳を傾けてくれる聞き手に対しては、親しみを感じ、もっと話をしたいという気持ちになります。
問いでは「です、ます」を使うか使わないかという言葉の形が問題になっているようですが、人に与えたり人から受けたりする「失礼、他人行儀」などの印象は、言葉の形だけによるわけではないのです。
丁寧な言葉遣いをしていても丁寧ではない態度が伝わる可能性があるという例からわかるように、敬語などの言葉の形のみが話し手の心的な態度を伝えるわけではありません。話し方やしぐさ、表情などの様々な手段を織り交ぜることで自分の意図をより明確に、あるいは豊かに伝えることも可能です。そしてそれは同時に相手の意図を言葉の形だけで判断していては的確に捉えることはできないということも意味しています。
この状況にはこのレベルの丁寧な言葉遣いをするべきだというように、言葉の形だけにとらわれるのではなく、もっと様々な表現の側面にも目を向けてコミュニケーションを見直してみてはいかがでしょうか。
(ボイクマン総子)