会社では、外部から電話がかかってきたとき、自分の上司は呼び捨てにし、上司には尊敬語はつけない、と教わりました。私には不自然に思えるのですが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
日本語において敬語を付けて表現するかしないかは、話にかかわる人間関係により決まるところがおおいにあります。その人間関係を判定する基準は、大きく〈上下〉関係と〈内外〉関係に分けることができます。
〈上下〉関係による基準というのは、年齢や立場などにおいて自分よりも上にある者に対しては敬語を使うというものです。もっとも現在は、同等や目下の人に対しても敬語を使うことが一般的ですので、敬語使用は上方向に限られるわけではありません。しかし、同等や目下の人へは敬語を使わない場合も十分ありうるのに対し、目上の人への敬語使用(特にデス・マス調などの丁寧語の使用)はほぼ必須と言ってよいでしょう。つまり、〈上下〉関係の基準は薄くなってはきているものの、現在でもまだ確かにあります。
これに対し〈内外〉関係による基準というのは、相対的に自分に近い側の人間と遠い側の人間とが話の内容にかかわってくる場合、自分に近い側の人間をへりくだらせ、そのことをとおして結果的に自分から遠い側の人間を高めるというものです。つまり、ウチとソトの人間を峻別し、ソトの人間の方を尊重するという発想です。
この〈上下〉関係と〈内外〉関係が衝突することがあります。つまり、自分よりも上の人間だけれども、もう一方の人間との関係においてはウチとして扱うべき場合です。例えば、社外の人(ソトの人間)に対し、社内(ウチの人間)の上司のことを話すような場合です。こうした場合、現在の日本語の標準的な用法としては、〈上下〉関係よりも〈内外〉関係を優先させ、たとえ目上の人であっても敬語を付けずにへりくだらせます。例えば、「加藤さんは午後にはお帰りになります」ではなく、「加藤は午後には帰って参ります」と言うわけです。逆に、社外の人であれば、たとえ自分よりずっと年下の新入社員のことであっても、「田中さんはいつお帰りになりますか?」のように敬語を付けて表現します。
質問では、外部の人に対して上司のことを呼び捨てにしたり、へりくだらせた表現をしたりすることが不自然に感じられる、ということでした。このような違和感は、いったいどこから来るのでしょうか。
それは、日本語の言葉遣いにかかわってくる〈上下〉関係と〈内外〉関係という二つの基準が、外部の人と話をする状況では衝突するからではないでしょうか。同じ会社の社員同士で日常の業務を行っているときには、〈上下〉関係に基づく言葉遣いをしていればすみます。ところが、外部の人と話す場面では、いわばそのときだけ「臨時的」に〈内外〉関係に基づいた言葉遣いに切り替えて、通常と反対方向の言葉遣いをするわけです。これでは違和感を覚えるのも無理がありません。また、理屈では、〈内外〉関係の基準を適用すべきだとわかっていても、社会的な立場関係としては上にいる上司のことを下に置くかのような物言いをすることに居心地の悪さを感じる、ということもあるかもしれません。
しかし、立場を換えて、自分がよその会社に電話をしたときに「加藤さんは午後にはお帰りになります」と言われたとしたらどうでしょうか。何となく、加藤さんが重んじられて、逆に自分は十分尊重されていないように感じる人もいるのではないでしょうか。
そう考えると、話し手自身の感覚としては多少不自然な、あるいは居心地の良くない感じがしても、それを受ける相手の立場から考えて、相手が受け入れやすい、心地よい表現をすることも必要だということになります。コミュニケーションは相手があって成り立つ行為ですので、他者(受け手)の立場に立った配慮をすることも望ましいと言えます。
(尾崎喜光)