「共通語」と「標準語」はどのように違うのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
「共通語」は、異なる言語を話す人同士が意志を通じ合うために用いる共通の言語のことです。「英語は世界の共通語」と言われることがあるのはこのような意味です。日本語の中で「共通語」と言えば、方言の違いをこえて互いに通じ合うことばを指すことになります。
「標準語」は、ある言語の中で、規範的な正式の言い方と見なされて、公的な場や改まった場で話したり書いたりする時に使われることばのことです。明治時代には、「東京の教養層の言語に磨きをかけたことば」という標準語像が示されました。現在では、「NHKアナウンサーのことば」や「教科書のことば」が標準語である、とされることがありますが、あくまでも便宜的な説明です。言語活動の種類や話し手一人一人の意識とかかわる面があり、「標準語」の全体像を具体的に示すのは困難です。標準語は国が制定すべきものである、とする立場もあります。
このように、「共通語」と「標準語」とは、もともとは違う概念を表す用語です。しかしともに「方言」と対比的な性格を持っており、そのうえ日本語では現実には、東京のことばを基盤としたことばが「共通語」として通用し、「標準語」と意識されていて、両者には実体上はっきりとした区別がありません。このため一般には、両方の用語が区別なく使われることも少なくありません。
現在のように「方言」と対の意味で「共通語」という用語が広く用いられるようになったのは、戦後のことです。国立国語研究所では昭和24年から、福島県白河市の住民の言語生活の実態調査を行いました。そこで注目されたのは、地域社会の現実の言語生活が、在来の土地のことばとそうでないものとの混合によってなされているという点でした。
そこで分析にあたって、地域で話されている「全国どこでも通じることば、東京語に近いが、必ずしも一致しない」ことばを「全国共通語」略して「共通語」とし、在来の土地のことばである「方言」と分けて扱いました(国立国語研究所『言語生活の実態 ―白河市および付近の農村における―』)。「共通語」という用語自体は明治時代にも使われたことがありますが、戦後の「共通語」という用語と概念は、地域の言語生活の実態を精査する中から生まれてきたわけです。以後「共通語」は、研究の分野だけでなく教育界や社会一般にも広まって行きました。
一方「標準語」という用語は明治時代から盛んに用いられてきました。特に明治30年代ごろからは、中央集権化による近代的な国家づくりという政治的社会的な要請の下、学校での「標準語教育」が推進されました。当時の教授資料を見ると、それが標準語の普及を目指す一方で、地域の方言を排除する方向に強く傾いたものであったことがうかがわれます。
このような標準語教育は、「よいことば」である標準語に比べて、自らの身につけた方言を、規格から外れた劣ったものとするとらえ方を固定化させることにつながったと思われます(日高水穂「解説4」、国立国語研究所『新「ことば」シリーズ16 ことばの地域差―方言は今』)。
戦後、教育の分野では「標準語」に代わって「共通語」が目標とされるようになりました。方言との関係について、昭和33年以降の国語の学習指導要領では、「共通語と方言の果たす役割などについて理解する」(平成10年中学校学習指導要領)ことが盛り込まれるなど、「共通語と方言の共存」という方向が示されるようになっています。
(三井はるみ)