ことばの疑問

東北方言で「山に行く」が「山サ行く」なら、「いい天気になった」は「いい天気サなった」ですか

2023.05.17 井上優

質問

東北では「山行く」を「山行く」と言うと聞いたので、「いい天気なった」も「いい天気なった」だと思ったら、この場合は「ニ」だと言われたのですが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。

のんびりした山の写真に、山サ行く、いい天気になったの例文が書いてあるイラスト

回答

「サ」の来源は古典語の「さまに(へ)」

「山サ行く」「東京サ行く」のような〈空間的な移動の方向〉を表す東北地方の格助詞「サ」は、古くは「~の方に(へ)」という意味を表す古典語の「さまに(へ)」にさかのぼると言われています。

大臣おとども立ちてさまにおはすれば(『源氏物語』浮舟)
(大臣も立って、外の方へいらっしゃるので)

また「サ」の仲間は東北地方だけでなく、遠く離れた九州にも見つけることができます。たとえば「駅の方に行った」を「駅サメ行った」(大分県湯布院町)「駅サネ行った」(宮崎県日南市)のように言います。

ただ、九州方言の「サメ、サネ」の類が、古典語の「さまに(へ)」の用法をよく保存し、〈空間的な移動の方向〉の意にほぼ限定されているのに対し、東北方言の「サ」は、「方向」以外の意味も広く表すように変化し、共通語の「に」に近い意味の広がりを持つにいたっています。

東北方言の「サ」は「方向」以外にも、移動の目的、授与の相手、存在の場所といった共通語の「に」に近い意味の広がりを持つ文例が示してあるイラスト
福島県小高方言(小林隆「東北方言における格助詞「サ」の分布と歴史」より)

「サ」の意味の広がり方はさまざま

しかし、東北方言の「サ」はもともとが〈空間的な移動の方向〉の意を表す表現ですから、「に」と異なる部分もあります。たとえば、先の福島県小高方言では、人間や容易に動かせる物の存在場所は「サ」で表せますが、「役場は大町ある」のように固定された物の存在場所は、「サ」ではなく「ニ」で表されます。また、「犬追いかけられた」(受身の相手)、「いい天気なった」(変化の結果)のような「に」にも、「サ」ではなく「ニ」が用いられます。〈空間的な移動の方向〉という意味から離れ、意味が抽象的になるにつれ、「サ」は使われなくなるわけです。

「サ」の意味の広がりは、東北方言の中でも地域差があります。下の図は、「東の方行け」「ここある」「大工なった」「犬追いかけられた」という文で「サ」が使われる地域を示したものですが、やはり〈空間的な移動の方向〉という意味が希薄になるにつれ、「サ」が使用される地域も減ることがわかります。

「サ」の意味の広がり
国立国語研究所編『方言文法全国地図』第1集をもとに作成( 小林隆「東北方言における格助詞「サ」の分布と歴史」より)

「サ」の意味変化は現在でも続いており、たとえば、秋田方言では、「存在の場所」はもともと「ニ」だったのが、若い世代では「サ」が普通になっています(秋田県教育委員会編『秋田のことば』)。今後東北方言の中で「サ」の意味がどのように変化するか、地域差も含めて注目されるところです。

※大分県湯布院町は、現在の大分県由布市湯布院町。

書いた人

相席で黙っていられるか

井上優

INOUE Masaru
いのうえ まさる●日本大学 文理学部 教授。
専門は現代日本語の文法・意味ですが、妻が中国人ということもあり、日本語と中国語の対照研究もおこなっています。対照研究とか異文化間コミュニケーションとか言うと大げさに聞こえますが、要は「ものは考えよう」ということです。詳しくはプロフィール写真の本をごらんください。

参考文献・おすすめ本・サイト

参考文献

  • 小林隆(1995)「東北方言における格助詞「サ」の分布と歴史」『東北大学文学部研究年報』第44号  東北大学文学部、pp.244-217.
  • 秋田県教育委員会編(2000)『秋田のことば』 無明舎出版

おすすめ本・サイト

  • 井上史雄、木部暢子(編・著)(2016)『はじめて学ぶ方言学―ことばの多様性をとらえる28章―』ミネルヴァ書房
  • 江端義夫 編(2018)『方言(新装版 朝倉日本語講座 10)』朝倉書店
  • 木部暢子(2013)『そうだったんだ!日本語 じゃっで方言なおもしとか』岩波書店
  • 工藤真由美、八亀裕美(2008)『複数の日本語―方言からはじめる言語学―(講談社選書メチエ)』講談社