友人の留学生が「美しいの人」「タバコを吸うの人」という言い方をよくします。なぜこのような言い方をするのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
このような言い方が出てくる原因としては、母語(生まれていちばん最初に身につけた言語)の影響ということがまず考えられます。
日本語では、名詞が名詞を修飾するときには、「私+の+本」というように、「の」という「つなぎの語」が必要です。一方、形容詞(美しい)や動詞(吸う)が名詞(人)を修飾する場合、つなぎの語は要りません。形容詞・動詞にそのまま名詞をつなげて、「美しい+人」、「吸う+人」とすれば、それで十分です。
一方、中国語では、修飾する語が名詞であろうと動詞・形容詞であろうと、基本的に、修飾する語と修飾される語との間には“的”というつなぎの語が必要です。以下の例を見てください。
ですから、「美しいの人」「タバコを吸うの人」というような表現は、中国語の表現をそのまま一語一語日本語に置き換えることによって生じたものと考えることができます。
韓国語を母語とする人も、「美しいの人」式の表現をすることがあります。韓国語では、動詞・形容詞が名詞を修飾する場合、動詞・形容詞の語尾が変化します。日本語でも、「静かだ」のような形容動詞が名詞を修飾する場合は「静かな場所」のように語尾が変化しますが、韓国語では、それと同じことが動詞・形容詞にも起こるわけです。そのため、韓国語を母語とする人は、日本語で例えば「美しい人」と言いたいときにも、「美しい」という語の語尾変化のかわりに、無意識的に「の」を挿入してしまうのかもしれません。
このように、ある言語を学習するときに、母語の影響で誤りや不自然な表現が出てきてしまうことを「母語干渉」(さらに正確に言うと、「母語による負の干渉」)と言います。
母語干渉は文法面だけでなく、「表現の選び方」といった側面にもあらわれることがあります。例えば、日本に来た留学生が先生にむかって、
というようなことを言って、先生を不愉快にさせてしまうような例です。
日本では一般に、学生が教師の授業をほめることは失礼にあたると考えられることが多いのですが、文化によっては、相手が先生であっても、よいと思ったことは積極的にそれを認めて表現するのがいい、と考えられている場合があります。「今日の授業はとても上手でした」というせりふは、母語での賞賛表現をそのまま日本語に直訳してしまったものと考えられ、これも広い意味での母語干渉とみることができます。
日本語母語話者に見られる母語干渉の例も挙げてみましょう。
かつてあるアメリカ人の先生が、英会話のクラスで日本人の学生一人一人に “How are you?” と話しかけたところ、全員が “Fine, thank you, and you?” と答えてきて面食らったという話を聞いたことがあります。なぜ先生は、ここで面食らってしまうのでしょうか。
日本語の「あいさつ」には、「こういう時にはこう言う」という定型的な「決まり文句」があって、場面に応じてその決まり文句を口にしていればとりあえず無難、というところがあります。例えば、「お世話になっております」と言われたら、「いいえこちらこそ」と(たとえそう思っていなくても)答える、というようなことです。一方、英語にはそのような定型表現は多くはありません。それよりは、その場その場にふさわしく、かつほかの人とは違った(決まりきった言い方ではない)表現を、会話の当事者自身が考え出していくのがよいと考えられているようです。
先ほどのアメリカ人の先生の違和感は、英語では返答の一例でしかない “Fine, thank you, and you?” を、日本人の学生がいかにも「決まり文句」であるかのように使ってしまったところから生じたものと言えるでしょう。