ことばの疑問

「御社」「御校」

2013.03.25 山田貞雄

質問

最近、入社や入学のための面接で、会社や学校のことを「御社」や「御校」と呼ぶそうです。面接官に向かって、若者の普段使いなれない言葉をあえて覚えてまで使うことが、試験対策として常識化しているように見えますが。

回答

入学や入試の試験の現場が特殊な事情であることはわかります。それにしても、書き言葉としてはひろく通用するとして、話し言葉では「オン-シャ」や「オン-コウ」ということは、一般的・日常的ではないといえます。

この問いのほかに、受験する学校に提出する作文や調書で、受験者はもとより、保護者や家族も「御校」と書くべきかどうか、あるいはさらにその場合、「貴校」としては失礼になるだろうか、といった質問もありました。

そもそも、相手を直接表わす言葉で「御~」や「貴~」というのは、相手を高めていう、という言葉の上のマナーです。大きくいえば敬意表現ですが、日常の言語生活での話し言葉の敬語とは、やや異なる、文章に独特な言葉で、特に書簡用語にあるマナーといってもいいでしょう。

さて、この質問には、幼子や若人が面接対策として、丸覚えでも使いこなす必要があるか、という、マナーを越えたモラルに近い、問題意識や意見までもが含まれているように思われます。

もちろん実社会では、一見形式的な敬意表現の体系づけや、ランクづけなどが当然となされている業種・業界がありましょう。また、これぐらいのことは、大人社会の仲間入りをする上では、当然の前提、あるいは通過儀礼のようなもので、一度は身につけておくべき教養の範囲だ、と考える向きもありましょう。

一方で、無理までして、使いなれない、しかも書き言葉の棒読みみたいな受け答えをマスターして演じたところで、個人の表現が磨かれるわけでもないし、そもそも、心からの発想にない敬意を、言葉の形式上だけ調えても真の敬意表現には成らない、とする向きもありましょう。

これらの主張はそれぞれに理屈が通っていて、その都度賛成せざるを得ない、といった感があります。ですから、この中のいずれか一つに軍配をあげ、絶対的な敬語のルールとして定めるべきではなさそうです。少なくとも、二者択一的問題なのかどうか、一旦考える意味はありそうです。

「貴社」や「貴校」が丁寧語としての性質の強い同等の間でかわされる書簡用語だとすると、それだけでは不足だと感じる場合もあるでしょう。たとえば、これからその会社や学校に入れて貰えるかどうか、人生や生活を頼みにしたい組織や相手に対しては、もっと相手を敬う、もっとよい言葉を工夫したくなるのは、人情かもしれません。またそのような相対的な敬意表現が積み重なって、総体として敬意表現が成り立っているとも考えられます。

そうなると、「御社」や「御校」は、作文や調書においては、文章語として使いこなせる範囲と考えられるでしょう。一方、相手と面と向かって話す場合には、よほど改まっている、あるいは大勢の見知らぬ人を目の前にしている、など特殊な事情でなければ、かなり不自然になりましょう。

また慇懃無礼、ではないですが、敬語を完璧に使いこなしたところで、総体としてどうなのでしょうか。結果的に豊かな感性と知性を言語表現として実現しているか、という観点も必要でしょう。たとえば、「こちらの学校」「この会社」などという言葉を使ったとしても、それらを補って余りある魅力や、相手をひきつけ、うならせるだけの内容をもたらすかどうか、がより重要だとも考えられます。

敬意表現の評価は、単なる言葉の表面上のルール判定や、点数採点だけに陥ってしまいたくないものです。

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。