外国人が日本で生活するうえで困ることには、例えば、どういうことがありますか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
外国人が日本で生活するうえで困ることには、まず「日本語が十分にできないために困ること」があります。例としてよくあげられるのは、病院での医師とのやりとり、役所でのやりとり、子供が通う学校とのやりとりなどです。ゴミ収集のように、地域ごとに約束事が細かく決められているようなことがらを、近所の人とうまくコミュニケーションをとりながらおこなうこともなかなか難しいものです。
文化庁が、平成13年に全国12地域の日本語教室に通う16歳以上の在住外国人(男女600人)に対しておこなった調査(文化庁国語課「日本語に対する在住外国人の意識に関する実態調査」)でも、「病院」(21.3%)、「近所付き合い」(17%)、「職場」(15.1%)、「役所の窓口」(11.5%)、「就職時」(10.2%)などが、日本語の会話や読み書きが不得意な(あるいはできない)ために困ったり嫌な思いをした場面としてあげられています。
同調査には「住んでいる地域の行政機関(役所等)に対する要望」という調査項目もありますが、そこでは次のようなことがらがあげられています。
この結果からは、「その地域で生活するうえで必要な情報が必ずしも十分に入手できない」と感じている人が少なくないことがうかがわれます。
日本語教育においては、「日本事情」という枠の中で、日本の社会・文化・習慣などに関する基礎知識や、日本での生活に関する情報が提供されることがあります。「日本事情」の意義や内容についてはいろいろな意見がありますが、地域の生活について平易な日本語で説明すること自体は、日本語教師だけでなく、地域に住む一人一人が身につけるべきことがらでしょう。また、それは「日本語が十分にできないための苦労」を軽減するための最も基本的なことがらでもあります。
外国人が日本で生活するうえで困ることには、「ことばができても苦労すること」もあります。例えば、就業時間が過ぎたらすぐに家に帰るのが当然であるという社会で生活していた人にとっては、日本の ‘残業’ という習慣にはなかなか適応できないでしょう。「あいさつ」のようなちょっとした行動も、勝手が違えばストレスがたまるものです(日向ノエミア「日本人と挨拶するときの難しさ―ブラジル人の場合―」)。
しかし、何よりも苦労するのは、「日本語ができるようになっても、何かと外国人扱いされる」、あるいは「日本語がうまく話せないうちは日本的なものの考え方を押しつけられないが、日本語ができるようになると急に日本的なものの考え方を押しつけられる」ということです(ポール・スノードン「西洋人と日本語」)。
前者の背景にあるのは、「いくら日本語ができても日本人ではない」というよりは、むしろ「外国人なのに上手に日本語を話すことに感心する」という気持ちでしょう。また、後者も「郷に入りては郷に従え」という気持ちよりは、「自分と同じ日本社会の一員として受け入れよう」という気持ちから来ることの方が多いと思います。「感心する」「受け入れよう」という善意の気持ち自体はごく自然なものです。ただ、その一方で、善意の気持ちであるがゆえに、相手にとっては差別や日本的なものの考え方の押しつけであっても、私たち自身はそれに気づかないことがあるということも忘れてはならないでしょう。