日本語を教える際にどのような知識や心構えが必要でしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
教育機関で日本語を専門的に教える日本語教師には、現在のところ教員資格のような公的な資格はありませんが、専門家としての知識や能力は当然求められます。例えば、平成12年に公開された『日本語教育のための教員養成について』(文化庁)には、日本語教育の専門家は次の3つの知識や能力を身につけることが必要だと書かれています。
また、同報告書では、日本語教師として求められる資質・能力として、日本語を的確に運用できること、学習者とうまくコミュニケーションできること、言語一般に対して深い関心を持つこと、国際的な感覚を身につけていること、そして、日本語教育の専門家としての自覚と情熱を持つことも挙げています。
しかし、日本語を教えることは日本語教育の専門家である日本語教師だけがすることなのでしょうか。私たちのまわりでは、日本語を母語としない人たちの存在はもはや特別なものではないでしょう。特に最近は、日本人と国際結婚をしたり、日本の会社などに勤めたりして、家族とともに地域に定住する人たちが増えてきています。そして、このような人たちの間から、日常生活のコミュニケーションの手段として日本語を学びたいという声が多く聞かれるようになりました。
こうした要望にこたえるため、地方自治体の国際交流団体などを活動の拠点とするボランティア・グループが日本語教室の開催を積極的に行っています。平成10年に実施された文化庁の調査によると、日本語を教えている人の総数2万人のうち、ボランティアで教えている人は1万人を超えているそうです。つまり、日本語を教えることは、専門家である日本語教師だけに限定されたことではなくなっているのです。
「日本語を教える」という点では、日本語教師も日本語ボランティアも違いはありません。しかし、専門家として日本語教師は、主に大学での勉強や技術の習得を目的としている人たちに、「学校」という教育機関で効率よく教授します。これに対し、ボランティアで日本語を教える場合は、「日本での生活をよりよいものにするため」、「地域の人たちとコミュニケーションするため」、「日本という異文化に適応するため」といった理由で日本語を必要とする人たちを対象にします。また、教え方や教える場所も、対象とする人や活動の状況によって違いがあります。
地域のボランティア日本語教室で日本語を学ぶ人たちは、それぞれ固有の事情を抱え、具体的に求めることがらもさまざまです。子どもが通う学校からのお知らせを読みたいから来る人や、話し相手が欲しい人もいれば、病院や交通機関など地域に密着した情報を得るために来る人もいるでしょう。これらの要望は、日本語を効率的に教えて早く使えるようになってもらうという、狭い意味での日本語教育の範囲には収まりませんが、日本でよりよい生活を過ごすためには、必要なことです。地域のボランティアとして日本語を教えることは、同じ地域に住む人たちに対する支援の一つであり、ことば以外のことも扱うことが求められるのです。
地域のボランティアとして日本語を教える場合は、求められる支援や支援を求める人が多様であることなどからも、これだけの知識や技能があればよいということはできません。それよりも、新たに隣人としてやってきた人の立場に立って必要な支援を考え、「地域に暮らす外国人に同じ生活者として支援をし、ともに協力してよりよい地域を築いていく」という姿勢で活動を行うことが最も大切でしょう。
(福永由佳)