「ことば」の研究とはどんな事をするのですか。学校の国語の授業でやることと関係があるのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
最初に以下の声を聞いてください。
【Aさん】ピアノのお稽古に来ている高校生が、「お疲れ様でした」と言って帰って行くの。バイト先の同僚でもないのに、失礼な感じがするんだけど。
【Bさん】この間からどうしてもワープロで変換できなくて、おかしいと思っていたら、「フインキ」って、「フンイキ」なんだって、本当は。
【Cさん】今度フリーマーケットをするので、準備していて「フリー」のアルファベットで、もめたのよ。「蚤の市」だから、「自由」のフリーでは間違いよ、って言う人がいてね。でも、値段の付け方もならべ方も、勝手気ままにやるから「自由」でいいんじゃない。もう、どっちにしたって日本語でしょ。
【Dさん】今朝、隣に住んでいる留学生に日本語で話し掛けてみたんだよ。「週末は何をしてたの」と聞いたら、「多い本を読みました」だって。「それをいうなら『たくさん本を読みました』だよ。」って教えたら、逆に、「寒い」「寒くない」、「暑い」「暑くない」なのに、「きれい」「きれくない」とは言わないのは、どうしてかって聞かれて困っちゃった。
これらの声からわかることは、いわば毎日いたるところで、ことばについての疑問や日本語の問題が起こっていて、必ずしも解決されないままである、ということでしょう。
では、これらの声は、「ことば」の研究とどんな関連があるのでしょうか。【Aさん】のピアノの先生らしい人の「お疲れ様」にたいする違和感とはなんでしょうか。社会におけることばの使い分けに関連があります。【Bさん】や【Cさん】の問題は、ことばの種類(語彙)やことばの変化に、【Dさん】の問題は日本語教育とも関連するでしょう。
これらは必ずしも小中学校、高等学校の学科としての国語科では直接教わらないこともあるかもしれません。文章を読んで人生を感じたり知識や論理を学んだり、考えたこと感じたことをことばで表現することとは、あまり関連のない事かも知れません。
また、大人になって実際に社会人になるために勉強したり、社会人になってから教えられたりして、ことばのルールを身につけることもあるでしょう。
しかも上手に日本語を使うということは、必ずしも学んだり、教えられることだけではなく、いってみれば、ことば自体と向き合うということから始まります。その際さまざまなことを疑問に思ったり、使い方に迷いが生じてくる、というのはごく自然のことです。疑問や迷いを抱いて解決しようとする、その事自体が重要で、日本語をもっと深くよく知ることにつながるでしょう。日本語は、いつでも調べたり考えたりするもの、ということもできるでしょう。
さて、日ごろ使う日本語については、年齢や性別に関わらず、誰でも気になったり、時には不快だったりすることがあります。つまり、ことばの問題には感情に関わることが多くあって、ある人がよいと思って使っても、ある人にとっては可笑しかったり不快だったりする、ということがあります。
そこで、これから調べたり考えたりする、「ことば」の研究からは、その感情の問題をさしひいて、考えてみましょう。自分ならば、とか、自分はこう感じる、という立場からいったん離れて、この「ことば」の意味は、とか、この日本語を使うのはいつか、とかいった立場にたってみましょう。
こういった感情や主観を克服するということは、実は、数量的な調査や実験の結果、あるいは文献調査といった、科学的な方法によって実現できるものです。日常抱く日本語の問題に向き合って、「ことば」を調べたり考えたりすることは、それらの問いへの答えを捜し求め近づいていくことでもあるのです。
(山田貞雄)