ことばの疑問

「元旦」

2012.12.26 山田貞雄

質問

「『元旦』の『旦』という漢字は、御来光をあらわすので、『元旦』は朝だけ、あるいは午前中だけを指す。」と聞きました。また「年内に用意する賀状の日付に『元旦』と書くのはおかしい。」と読んだこともありますが、そうでしょうか。

回答

「『元旦』の『旦』の最後の画は水平線を意味するのか。」という質問もありました。漢字文化発祥の中国では、「一」とは、簡単にいえば「天地の分かれるところ。ものの初め。」という意味であるといいます。水平線なのか地平線なのかを区別するといった、科学的な概念ではないのですから、「旦」は海の上にあらわれた御来光だ、と具体的に限定してしまう理由や必然は見あたりません。漢字「旦」は、「(夜が)あける」「あさ」「日(太陽のこと)」の意味でした。

日本では、平安時代に、「あかつき」「あきらか(なり)」のほか、現代でも用いる多義的な和語「あした」といった訓よみが字書にみられます。中世には、「ついたち」という訓もみえます。これらの和語の概念と密接に結びついた漢字「旦」は、文脈の中で適宜に字訓とその意味をあらわすのだと、みなしてやればよいでしょう。

ですから、熟語「元旦」を「元日の朝」の意とも「元日」の意とも解してきたということは、伝承としての事実です。朝だから午前中まで、といった近代的な時間感覚や、何日の何時から何時まで、などと限定したり定義したりするように、あらためて意訳したり解釈する、そういう理由や必然も見あたりません。

さらに賀状を年内に用意して、本来なら新たな気持ちで元日に直にすべき御挨拶に代えよう、という文化習慣からすれば、年賀状の日付は、文面を書いた日付を正確にあらわすものではなくても、許されそうなものです。むしろ「新鮮で厳粛な一年の始まりにあたって、あらたまって大切なあなたに御挨拶を申しあげます。」という趣旨が大事なのでしょう。それを、賀状という形や賀詞という言葉に託している、と捉えてみれば、いろいろな習慣や表現をも、相当許容できるのではないか、と思われます。

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。

参考文献・おすすめ本・サイト

『大字源』 (角川書店 1992)
『新明解 現代漢和辞典』 (三省堂出版 2012)