日本語には、どうしていろいろな方言があるのですか。また、それはどのようにしてできたのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
現在、具体的に知ることのできる、方言の分布などから推定すると、方言、つまり、地域による言葉の違いが生まれた背景には、少なくとも、二つの要因が考えられます。
一つ目は、言葉の伝播ということです。典型的なのは、各時代に、中央でできた新しい言葉が、文化の力の差を背景に、次第に地方に広まっていく、という場合です。都の近くには、新しい言葉が早く到達しますが、周辺部や交通不便な地域には、なかなか到達しない、という時間差が生じ、それが、方言の違いとなって現れる、というわけです。このような考え方を、「方言周圏論」と言います。各地の方言の中に、かつて中央で使われた古い言葉が残存していることがあるのは、このような理由によります。
例えば、「とんぼ(蜻蛉)」のことを全国でどのように言うか見てみましょう。図は『日本言語地図』 第5集 第231図(https://mmsrv.ninjal.ac.jp/laj_map/data/LAJ_231.html)の略図です。トンボ・ドンボなど「トンボ」類の言い方が、東北地方の日本海側から九州東部にかけての広い範囲に広がる一方、アケズ、アケージュー、アッケなどの「アケズ」類の言い方が、東北の太平洋側と、ずっと離れて九州南部から琉球列島にかけて、ちょうど、「トンボ」類の地域を南北から挟むように分布しているのがわかります。
文献を見ると、平安時代の終わりごろ、「とんばう」という言葉が京都に現れます。これが、都を中心に東西へと広がったものが、現在のトンボ類であると考えられます。一方、その外側に分布するアケズ類は、それより古く、『古事記』にも見られる「あきづ」に由来すると考えられています。古い「あきづ」は、東北の太平洋側や琉球にまで到達しましたが、新しい「とんばう」は、そこまで届かず、今見るような方言分布を形成したわけです。
単語だけではなく、例えば、東北や九州を中心に聞かれる、「背中」を「シェナカ」、「火事」を「クヮジ」とする発音などについても、同様に説明できます。
二つ目は、それぞれの方言の中での独自の発展や変化ということです。
例えば、動詞「見る」は、共通語では、否定形「ミナイ」、命令形「ミロ」のように活用する、一段活用動詞です。ところが各地に、否定形を「ミラン」(愛知、紀伊半島南部、山陰地方、九州、琉球など)と言ったり、命令形を「ミレ」(「ミラン」の地域に加えて、東北地方の日本海側、新潟県など)と言ったりする方言があります。これらは、一段活用本来の活用形である、否定形の「ミン」、命令形の「ミロ」または「ミヨ」から、「取る」などの五段活用動詞と同じ形に変化したものです(「トル : トラン : トレ」=「ミル : ミラン : ミレ」)。
方言を含めて、日本語の動詞の活用の種類の中で、最も語数が多い多数派は、五段活用です。その中でも「取る」のようなラ行五段活用動詞は数が多く、「サボる」のような新語を作り出す力も持っています。上の変化は、同じラ行の語尾を持つために、少数派の一段活用動詞が、優勢なラ行五段活用動詞に類推によって同化したもの、と説明することができます。
「ミラン」「ミレ」のような言い方は、過去の中央語の文献には現れません。この変化は、中央から伝播したのではなく、同じ事情にあった複数の方言の中で、おのおの個別に、同じ方向に向かって発生したものと見られます。
このほか、東北や山陰、琉球の一部の方言の、「チ」と「ツ」、「ジ」と「ズ」などを区別しない発音の特徴や、北関東から東北南部にかけてと、九州中央部の方言などに見られる、無型アクセントなども、それぞれの方言で独自に生じた変化であると考えられています。これらの場合、ラ行五段活用化の例もそうであるように、「方言周圏論」とは逆に、周辺部の方言の方が新しい特徴を示していることになります。
なお、これらの要因は複合的に働く場合もあります。中央から伝播した言葉が、ある方言の中で形や意味を変えて使われる、とか、ある地方の中心地で生まれた言い方が、その周辺に広まる、というような場合です。
ところで、「方言がどのようにしてできたのか」と問うことは、「日本列島の言語がどのように成立したのか」と問うことにつながります。しかし、このことについては、いくつかの仮説が出されているものの、定説と言えるものはまだないようです。