高校球児が「優勝候補との対戦だが、名前負けはしたくない」と意気込みを語っていましたが、「名前負け」の使い方がどうも気になります。
「名前負け」という語について、『明鏡国語辞典』第三版(2021)には、以下のようにあります。
つまり、
フッキソウの話です。漢字では「富貴草」と書きます。{中略}こんなに立派な名前が付いている植物がほかにあまりありません。人だったら「名前負け」するとでも言われそうです。(『朝日新聞』 2002年1月9日夕刊、北海道)
のように、<自分の名前に負ける>という意味で使うのが「正用」で、質問にあるような、<相手の名前に負ける>という意味で使うのは「誤用」ということになります。
この語にそのような意味の例があることを指摘した最初の文献は、すでに昭和41(1966)年に見られます。そして「誤用」扱いする文献は平成2(1990)年から見られるようになり、その後は、「間違い言葉」の事例としてしばしば取り上げられています。
今日のこの語の使用実態を明らかにするために、『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』3紙の2002~2021年の20年間の記事を調査しました。
調査の結果、この語はスポーツ関連、特に高校野球関連の記事に用例が目立つことがわかりました。そこで、図1では、各紙での用例を「正用」と「誤用」とに分けたうえで、さらに記事全体と高校野球関連の記事とに分けてそれぞれの数を示しました(この語の「誤用」自体が話題になっている記事の中の例は入っていません)。
記事全体で見ると、『毎日』では「正誤」の用例数が全く同じですが、『朝日』『読売』では、「誤用」例の数が大きく上回っています。高校野球関連の例の比率は、全用例数に対しては『朝日』60.67%、『読売』48.84%、『毎日』35.81%の順です。そして、「誤用」例の中での比率は、『朝日』は88.27%、『読売』は70.54%、『毎日』は67.57%に達しています。一方、「正用」例に占める比率は、3紙とも10%以下にとどまっています。
「誤用」の実例を挙げると、
「相手は3年連続出場の名門だが、名前負けは絶対しない」(選手のコメント。『読売』2007年8月6日、中部朝刊)
「強豪私学に名前負けすることなく戦えた」(監督のコメント。『朝日』2010年10月11日朝刊、神戸)
「甲子園常連校と戦うからには名前負けしないように全力を尽くす」(同。『毎日』2015年10月16日、 地方版/福岡)
のように、「名門」「強豪私学」「甲子園常連校」という評判の相手との対戦において、<相手の名声に圧倒され、気持ちで負けてしまうこと>という意味で使われています。
このように、ここ20年の新聞では「誤用」の勢力はかなり大きく、特に高校野球関連の記事で使われた場合はほとんどが「誤用」ということになります。
図1の数字を見ると、少なくとも高校野球関連記事では、遠からず「名前負け」は「誤用」でしか使わない、というようになってしまいそうに思えます。ところが――今回の調査期間を前半(2002~2011年)と後半(2012~2021年)に分けて数字を見ると、意外な結果が出ました。それが図2です。
3紙に共通しているのが、前半に比べ後半の用例数が特に「誤用」では大きく減っており、その結果前半と後半とで「正誤」の勢力の優劣が逆転していることです。
特に『朝日』の変化は劇的で、「正用」例は後半が前半の6割弱なのに対し、「誤用」例は80分の1、わずか2例になっています。もう少し詳しく見ると、2010年までは毎年二けたであった「誤用」例が2011年には4例と急減、その後は2014・2015年に1例ずつあるのみです。『読売』も2014年までは毎年3例以上はあった「誤用」が2015年以降は年に1例かゼロ、『毎日』も2011年以降の「誤用」は2013年(5例)を除き毎年3例以下にとどまっています。
このような変化の背景には何があるのでしょうか。「名前負け」を高校野球の選手や監督が急に使わなくなった、ということはちょっと考えられません。実際の発言には依然この語の「誤用」が現れていても、記事化の際に別の表現に置き換えたり、その部分をカットしたりする――つまり「誤用」が紙面に出ないようにする、という各紙の校閲の方針が、何らかのきっかけで強化されるようになり、特に「夏の甲子園」の主催者である『朝日』ではここ10年ほどはこの方針が厳格に運用されている、と見るべきでしょう。いったい何が「きっかけ」になったのでしょうか。
今年も間もなく「夏の甲子園」が開幕します。中継を見たり新聞等の記事を読んだりされる際は、この語がどのように使われるか(使われないか)、ということもちょっと気にかけてみてください。