「お世話になっておりますぅ」と、「す」を伸ばして言うのはなぜですか?
よく街中を歩いている人が仕事の関係者との電話で、「あっ、お世話になっておりますぅ」と文末の「ます」を「ますぅ」と発音しているのを耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。
ここでは、「す」(/su/)の母音 /u/ が強調される形で発音されることを示すために「ぅ」を入れて「すぅ」と表しています。この「すぅ」をめぐっては、「す」は /su/ なのだから、母音の /u/ が強調される発音なんてあるのですか?と疑問に感じる人もいるかもしれません。実は、これには、私たちの発音のルールが関わっています。
本来は声帯の振動を伴って発音される母音 /u/ は、子音 /s/ の後かつ文の末尾という位置に置かれると、/u/ を発音する際に本来伴われるはずの声帯の振動がなくなり、あたかも /u/ が聞こえないような発音になります(これを「母音の無声化」(杉藤美代子『日本語アクセントの研究』p.77、前川喜久雄「母音の無声化」『講座日本語と日本語教育(2)』p.136より)といいます)。そのため、日常的にあまり意識されていませんが、私たちは文末の「です・ます」を母音 /u/ を伴った /su/ というより /s/ に近い形で発音していることがしばしばあります(※1)。実際、そのほうが母音 /u/ の口構えを作らなくて良いので発音しやすく効率的とも言えます。
しかし、先の場面では、日常的に使用される /s/ ではなく、/su/ と発音されることがあります。これはなぜでしょう? この発音には、いつも通りに発音するのではなく、あえてきちんとした /su/ と発音することで、「今ここの場が改まった場面である」ことや、「相手が敬意を表する人物であり、丁寧に接する必要のある重要な人物である」ことを表す働きがあるのではないでしょうか。言い換えると、発話の場において話し手が「場の改まり度」、「相手との社会関係(取引先など)」に応じて振舞っているということです。
「す」(/s/)から、「改まり度」や「丁寧さ」の度合いを加える「すぅ」(/su/)があるのとは反対に、「す」(/s/)から「改まり度」や「丁寧さ」の度合いを少し下げることもあります。特に近年、若年層の間では、「っす」(/ss/)という、短縮形の「ス体」(中村桃子『新敬語「マジヤバイっす」 : 社会言語学の視点から』、p.5より)が広く使用されています。中村氏は、親しい先輩に対して「マジっすか」のような短縮形の「ス体」は、「です・ます体」を使用することで、相手を「敬語を使うべき目上」とする一方、親しみを込めることも可能であるとしています。氏はこのような短縮形の「ス体」は、丁寧さと親しさを同時に主張する効果を持つと指摘しています(前掲書 p.56-59より)。
日本語の文体は、文末のスタイルから「敬体」と「普通体」に大きく分類することがありますが、冒頭で挙げた電話での会話の「すぅ」(/su/)や短縮形の「っす」(/ss/)からはこの二つの分類だけでは括ることのできない言語の使用が見えてきます。以下の図1の横軸では、左側に敬体の中でも最も丁寧の程度が高い「ございます」、右側に普通体である「だ」体があります。その中央に位置するのが、日常で頻繁に使用される「です・ます」体です。「です・ます」は、「ございます」よりもフォーマル度が低く、「だ」体よりはフォーマル度が高いという中間の位置づけとして知られています。この図に、縦軸を「改まり度」「丁寧さ」として、先ほどの「すぅ」(/su/)と「っす」(/ss/)を入れてみましょう。すると、縦軸の下の方には、基本的に「です・ます」体を基準としつつ場面の改まりの程度や相手との距離感によって、「です・ます」より少し親しみが込められた短縮形の「っす」(/ss/)、そして縦軸の上の方には「です・ます」よりも少し改まりの程度を増した「すぅ」(/su/)を置くことができます。ここから、文末の「っす」(/ss/)と「すぅ」(/su/)の発音は「です・ます」体に振れ幅を持たせたものであるということが分かるのではないでしょうか。このように、普段意識しない発音を詳しく見てみることで、「敬体」と「普通体」の分類だけではとらえきれないことばの使い方が見えてくるというわけです。
(※1)母音の無声化の生起する頻度には地域差があることはこれまでも報告されています(吉田夏也「日本語の母音無声化の地域差」『音韻研究―理論と実践―』など)。一方、地域に関わらず、高年層に比較して若年層の無声化の生起率が高いという報告もあります(邊姫京「狭母音の無声化の全国的地域差と世代差」『日本語の研究』、p.41)。