「やさしい日本語」の考え方は外国人だけでなく日本人にも役に立ちますか。
役に立ちます。「やさしい日本語」はわかりやすい話し方や文章のことですが、コミュニケーションにおけるわかりやすさは、相手に伝わりやすいだけではなく話し手・書き手自身の評価にも関わります。「週刊こどもニュース」(NHK、1994年開始)の初代お父さん役でわかりやすい解説を行っていた池上彰氏が今やゴールデンタイムで人気解説者になっています。つまり、難しいことを簡単に説明してくれる人は、子どもだけではなく大人も大歓迎なのです。書籍に目を向けてみましょう。ベストセラーを分析した斎藤美奈子『趣味は読書。』によると、『五体不満足』など戦後の大ヒット本は、大きな文字・絵本風のデザイン・ルビ付きといった児童書の要素が多いと言います。また、同じく斎藤『趣味は読書。』では「大人向けの本は「中学生」向けにつくるとちょうどいい」なんていう指摘もあります。つまり、読みやすく作られている本は売れるのです。これらは、わかりやすさがプラス評価を受けるという例です。
一方で、街の公共サインなどを見ると、必ずしもわかりやすさが重視されていない文章も世の中には存在します。本田弘之・岩田一成・倉林秀男『街の公共サインを点検する:外国人にはどう見えるか』では注意喚起のサインを日英で比較しながら、日本語にまわりくどい言い回しがあること、抽象的なものがあることなどを指摘しています。例1・2は実際に私が見つけた公共サインを基にしています(○○には都市名が入ります)。
例1は、「トイレをきれいに使いましょう」という一言を言うために、まわりくどい説明が上に乗っています。
例2は、ちょっと考えないと、抽象的で何が言いたいのかわかりません。「ゴミを捨てるな」とか「きれいに使って」などのメッセージを伝えたいのでしょうが、「緑の○○」とどう関係するのか不明です。
公共サインだけではなく、国や自治体が発行する公用文にも難解なものがたくさんあり、そのコレクションと解説で本が一冊できるくらいです(岩田一成『読み手に伝わる公用文―〈やさしい日本語〉の視点から』)。こういった難解なサインや公用文については書き手側にもさまざまな事情があり、一概に非難はできません。ただ、これらの日本語がやさしくないことは間違いないでしょう。これらは、おそらく多くの人に読み飛ばされているという点において、情報伝達機能を果たしていません。わかりにくい日本語はマイナス効果を持つということを意味します。
ここで少し視点を変えて、わかりやすさが必要な日本人の具体例を考えてみましょう。まず思いつくのは、小さい子やお年寄りです。小さい子に対応する保育士さん、お年寄りをケアする介護士さんなどは、みなさんわかりやすい話し方をされます。言わば「やさしい日本語」の実践者です。一方、『毎日新聞』(2008年8月15日)の記事では「後期高齢者医療制度:お年寄り悲鳴 難解書類、どっさり」というタイトルで、医療制度の変更に関するお知らせが非常に難解で受け取った人が困っているということがニュースになっています。相手に合わせた言語の調整ができないと、新聞で記事として取り上げられるほどの問題になってしまいます。
次に紹介したいのは、ろうの方です。ろうの方は、母語が手話なので日本語が第二言語になります。つまり日本国籍を持っていても理屈上は外国人と同じ言語環境にあるのです。ろう児への日本語指導は日本語教育(外国人向け)の知見が役に立つことはすでに指摘されています(岡典栄「ろう児への日本語教育と「やさしい日本語」」)。さらに、知的障害者の方もわかりやすい日本語が必要です。知的障害者向けの日本語は、外国人向けの「やさしい日本語」と共通点が多いこともすでに指摘されています。『ステージ』という知的障害者が当事者となって発行されていた新聞を分析することで、いろいろなことがわかってきています(打浪文子ほか「知的障害者向け「わかりやすい」情報提供と外国人向け「やさしい日本語」の相違 ―「ステージ」と「NEWSWEB EASY」の語彙に着目した比較分析から」など)。
最後の例は、日本語を母語としない日本人です。学校現場のデータを見ると、日本語が母語ではなく、かつ日本語ができなくて困っている児童生徒(日本国籍は持っている)がいよいよ1万人に迫るところまできています(『日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成28年度)』)。いつか「やさしい日本語は日本人のため?」とか「外国人のため?」なんて論じることすら意味がなくなる日が来るかもしれません。ここまで見てきたように一言で日本人と言っても様々な方がいらっしゃるため、「やさしい日本語」は当然重要な考え方となります。