ことばの疑問

百貨店で使われる秘密のことば

2018.07.17 中西太郎

質問

百貨店の店内放送で「横浜からお越しの松坂様,お近くの売場までご連絡ください」という放送がありました。忘れ物の呼び出しだと思ったのですが,よく考えてみると,個人名を他の客にもさらすことになるので,プライバシーの侵害になりませんか。

三越の金左衛門,高島屋の川中さんは,秘密の意味を持つことばです。いったいどういう意味でしょうか

回答

百貨店は,スーパーやコンビニ等と異なり,高級品を扱い,顧客に満足感を与える接客を重視する業態なので,お客に不快な感じを与えないよう,特にことば遣いにも気を配っています。案内放送の時のプライバシーへの配慮も当然していることでしょう。そう考えると,おそらく,具体的な名前を入れたその店内放送は,「松坂」という客への連絡ではなく,隠語を使って店員への連絡を行うものだったのだと思います。もし一般のお客に向けた連絡だったとしたら,迷子の案内等を除き,「おもちゃ売り場で〇〇をお買い上げのお客様,お近くの売場までお越しください」のようにすることでしょう。

隠語とは,2人以上が何かを隠すための意図で,人工的に作った言葉のことを言います(木村義之「隠語の世界」)。百貨店には,お客に聞かれるのが好ましくないやりとりを別の表現に言い換えて社員のみに伝える隠語が多く存在します。問いの「横浜からお越しの松坂様,お近くの売場にご連絡ください」という個人名が入った放送は,「横浜」の部分が用件,「松坂」が対象の社員名を表し,例えば「お客様からクレームが来た(=横浜)ので,担当の松坂さん,すぐ来てください」というような意味を伝えている可能性があります。現に,西武百貨店では,火事などの緊急事態の発生を社員に伝える「ニシタケマモル」という個人名を模した隠語があるそうです。

この他にも,店員間で使われる隠語が様々あることが知られています。百貨店業界の用語をまとめた米川明彦『集団語の研究 上巻』によると,そのような隠語をジャンルごとに分けると,(1)食事・休憩に関する語,(2)トイレに関する語,(3)客に関する語,(4)万引きに関する語,(5)男女に関する語,(6)客以外の人に関する語,(7)商品・販売に関する語,(8)数,(9)その他の9種に分けられます。これらの隠語のジャンルから見える特徴は,業務中に,お客様に知られずに伝えたい重要度・頻度が高い内容が隠語になることが多いということです。

(1)だと,店員間の会話で食事・休憩に行くことを客に分からないようにするために隠語にします。例えば,あるお店では,「食事・休憩」を「いせ」と言い,「いせ頂きます」のように使っています。昼にとる休憩なら「昼いせ」,夕方なら「夕いせ」と言うそうです。この「いせ」は食事・休憩の言い方の一例で,お店によっても異なります。次表に,よく使われる単語のお店ごとの違いを示しました。

松坂屋はトイレを新閣/中村,食事を喜座,客をお成りと言う。松屋はトイレをニの字,食事をハの字と言う。白木屋はトイレをすけんや,食事を仙の字,万引きをといれと言う。高島屋はトイレを仁久,食事を有久,客を五八様,万引きを川中さんと言う。大丸はトイレをさんさん,食事をぎょくと言う。そごうはトイレをさんさん,食事をまると言う。
表: 呉服店系百貨店の隠語の差
(米川明彦『集団語の研究 上巻』より,筆者が一部改変)

さらに同じ系列店でも店舗によって違う言い方をすることもあります。表の松坂屋の「トイレ」欄には「新閣/中村」と,2つの言い方を挙げています。これは,同じ松坂屋でも,大阪店ではトイレを「新閣」と呼び,名古屋店では「中村」と呼ぶという違いを反映しています。これらの言い方はでたらめに作られているのではなく,多くが連想や洒落等によってできています。例えば,高島屋の「五八様」は,客は客でも「お得意様」を指すのですが,「五八」=「五×八=四十(しじゅう)」=「始終(来る)」=「お得意様」という連想で作られたと言われています。

ちなみに,近年では百貨店業界の生き残り競争も激しく,閉店や統合を迫られることもあります。その時にはこういった言葉はどうなるのでしょう。一つの例として2007年に「大丸」と「松坂屋」が統合した「大丸松坂屋」があります。この両社の経営統合にあたっては,両社社員の用語の違いを統一する試みが行われました。先に紹介したような隠語も含め,170もの用語を対照させて収めた用語集が作られたと言います(青木均「大丸と松坂屋の経営統合」)。消費者である私達の目に触れることは少ないですが,社会の変化に伴い言葉が大きく変化した興味深い事例と言えるでしょう。

書いた人

中西太郎

中西太郎

NAKANISHI Taro
なかにし たろう●目白大学 社会学部 メディア表現学科 講師。
出身地は茨城県。専門分野は方言学,社会言語学。あいさつを含む言語行動の研究,方言コーパスの研究,非母語話者へのコミュニケーションの研究を手掛ける。主な論文に「言語行動の方言学」『方言学の未来をひらく』(ひつじ書房 2017),「言語行動の地理的・社会的研究―言語行動学的研究としてのあいさつ表現研究を例として」『方言の研究』1(ひつじ書房 2015)等。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 青木均(2008)「大丸と松坂屋の経営統合」『地域分析 愛知学院大学経営研究所々報』47(1),pp.87-100.
  • 木村義之(2009)「隠語の世界」中山緑朗ほか編『みんなの日本語事典―言葉の疑問・不思議に答える』明治書院,pp.360-361.
  • 木村義之,小出美河子(編)(2000)『隠語大辞典』皓星社
  • 米川明彦(2009)『集団語の研究 上巻』東京堂出版
  • 米川明彦(2017)『俗語入門―俗語はおもしろい!』朝倉書店