ことばの疑問

漱石の当て字にはどんなものがありますか

2019.02.26 松崎安子

質問

漱石の当て字にはどんなものがありますか。

漱石の当て字

回答

夏目漱石(1867(慶應3)-1916(大正5))門下の一人であった森田草平(1881(明治14)-1949(昭和24))は、漱石の死後『漱石全集』の編集に携わります。その際、漱石の用語や用字について誤りと思われるものは修正し、混乱していると思われるものは統一しようと試みましたが、そこにはたいへんな困難があったようで、『文章道と漱石先生』における一章「本書の成立」からは森田のため息さえうかがえます。この森田の言説を眺めながら、漱石の当て字を見、ご一緒に考えていきましょう。

夏目漱石
図 : 夏目漱石(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

全集の編集作業において森田を悩ませたのは、漱石の文字遣いについてです。漱石が深い漢学の素養を有するにも関わらず、「 平気(へいき)滅多(めつた)矢鱈(やたら)使(つか)」った当て字を、校正の段階でどのように訂正または保存するのか。森田はまず、漱石の当て字には、(1)単なる間違い、(2)故意、(3)漱石の文字への無頓着さによるもの、と三通りあるとみています。そして、(3)の生じている理由について「本来(ほんらい)先生(せんせい)といふ(ひと)は、(ひと)()文章(ぶんしやう)調子(てうし)(おも)きを()いた(ひと)で、()()()くよりは(みゝ)()いて文章(ぶんしやう)(つく)つた(ひと)である。(したが)つてさう()つたやうな無頓着(むとんぢやく)加減(かげん)可也(かなり)あり()べきことだと()はなければ()らない。かう()ると、(たん)なる当字(あてじ)先生(せんせい)作風(さくふう)の一(たん)(しめ)すものとして、是非(ぜひ)とも保存(ほぞん)しなければ()らない」と理解を示しながらも、保存か訂正かの線引きに苦慮しています。

では、森田は『漱石全集』の編集にあたり、漱石の当て字についてどのような文字を保存し、あるいは訂正したのでしょう。森田のつぶやきも交え、以下にみてみましょう。

表1 : 漱石の当て字に対する森田の判断

当て字例 正字 保存/訂正 保存/訂正の理由
兇事 凶事 訂正 餘りひどい。體裁も好くない。
合衾の式 合巹の式 訂正
手向 趣向 訂正 他の意味に取られては困る。
語呂の垢すり 呉絽の垢すり 訂正
庭宅 邸宅 保存 無頓着から来たものであることは明白。使ひ場所に依っては其儘で意味も通ずる。
辛防 辛抱 保存 意味も通ずる。
人世觀 人生觀 保存
勘定 鑑定 保存
必竟 畢竟 保存 先例が古書に幾許もある。

表1は森田により漱石の当て字とされた一部の例で、それらに対し、編集の際に加えた判断、その判断理由について私がまとめたものです。基本的には、明らかな誤字、読者に誤解が生じそうな用字については訂正を行うという考えがうかがえます。森田は、漱石の明らかな誤字について「餘りひどい」と厳しく批判する一方で、「何時(いつ)かも嶄新を斬新と()くのは見慣(みな)れないと(おも)つて(なほ)したら、(あと)斬新(ざんしん)(はう)(たゞ)しいと(わか)つて、(おほ)いに狼狽(うろた)へた」という逸話を紹介し、漱石を「あれだけ漢學(かんがく)(たつ)した(ひと)」と畏れています。

また、「かんしゃく」を【肝癪、疳癪、癇癪】、「りょうけん」を【了簡、料簡、了見】、「じょうだん」を【常談、贅談、冗談、笑談、串戯】のように、一つの読みに対して複数の表記がみられる場合も「其儘(そのまゝ)保存(ほぞん)して差支(さしつか)へあるまい」と判断します。読みと表記とがほとんどの場合一対一対応をなしている状態に慣れた現代の私たちにとって、森田の判断はよく言えば寛容、ともすると無造作と映りますが、実はこれらの表記にも先例があったり、熟語をなしている漢字の音が本来の正しい表記の字音とよく似ていたり、漢字の意味的側面が文脈によく合っていたりしたことから、漱石と同年代、またそれとやや前後する人々には違和感なく受け入れられていたのかもしれません。

さらに、次の例についてはどうでしょうか。「bucket」が【馬尻】、「ink」が【印氣】とあるところは、現代ではそれぞれ「バケツ」、「インク」のようにカタカナ書きされる場合がほとんどです。これらの例について森田は、「元來(ぐわんらい)洋語(やうご)漢字(かんじ)(あて)()めたのだから、()んな()()てた(ところ)(かま)はない」と述べています。副詞の「ぢかに」を【自家に】(現行【直に】)、(吝嗇な意味での)「ケチ」を【希知】とした表記についても、「俗語(ぞくご)漢字(かんじ)(あて)()めたもので、こんな剽輕(へうきん)()()てたところに一(しゆ)面白味(おもしろみ)さへ()()る」と述べ、「切齒(せつぱ)つまる」に至っては「此當字(このあてじ)(あた)つて()るか()ないかは(べつ)問題(もんだい)として、(だい)一に()面白(おもしろ)い」と漱石の文字遣いに対してかなりの心酔ぶりを発揮し、さすがに現代の私たちの感覚とはズレを感じてしまいます。

このように、漱石の文字遣いに対する森田の考え方、評価を眺めてみますと、弟子として師・漱石をいかに崇拝したかがうかがえます。ただそれと同時に、漱石の文字遣いの一部を「當字(あてじ)」とみなし、それを「滅多(めつた)矢鱈(やたら)使(つか)」ったと表しているところは、現代の私たちが感じる違和感の兆しなのかもしれません。

書いた人

松崎安子

松崎安子

Matsuzaki Yasuko
まつざき やすこ●国立国語研究所 言語変化研究領域 プロジェクトPDフェロー。
日本の歴史的区分のうちの、近代に書かれていた文語文に興味を持つ。当時、伝統的な漢文と和文とを両極にしながら、その中間的なスタイルもあったが、それらがどのように存在していたのかを調べ、考えている。著書としては『ガイドブック日本語史調査法』(ひつじ書房、近刊)(分担執筆)がある。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 今野真二(2008)『消された漱石』笠間書院
  • 田島優(2000)「漱石の特徴的なあて字―字音的・字訓的表記と意味的表記との混交―」『国語文字史の研究8』和泉書院
  • 田島優(2009)『漱石と近代日本語』翰林書房
  • 森田草平(1919)『文章道と漱石先生』春陽堂