漱石の当て字にはどんなものがありますか。
夏目漱石(1867(慶應3)-1916(大正5))門下の一人であった森田草平(1881(明治14)-1949(昭和24))は、漱石の死後『漱石全集』の編集に携わります。その際、漱石の用語や用字について誤りと思われるものは修正し、混乱していると思われるものは統一しようと試みましたが、そこにはたいへんな困難があったようで、『文章道と漱石先生』における一章「本書の成立」からは森田のため息さえうかがえます。この森田の言説を眺めながら、漱石の当て字を見、ご一緒に考えていきましょう。
全集の編集作業において森田を悩ませたのは、漱石の文字遣いについてです。漱石が深い漢学の素養を有するにも関わらず、「 平気で滅多矢鱈に使」った当て字を、校正の段階でどのように訂正または保存するのか。森田はまず、漱石の当て字には、(1)単なる間違い、(2)故意、(3)漱石の文字への無頓着さによるもの、と三通りあるとみています。そして、(3)の生じている理由について「本来先生といふ人は、人も知る文章の調子に重きを置いた人で、眼で見て書くよりは耳で聴いて文章を作つた人である。従つてさう云つたやうな無頓着さ加減は可也あり得べきことだと云はなければ成らない。かう成ると、單なる当字も先生の作風の一端を示すものとして、是非とも保存しなければ成らない」と理解を示しながらも、保存か訂正かの線引きに苦慮しています。
では、森田は『漱石全集』の編集にあたり、漱石の当て字についてどのような文字を保存し、あるいは訂正したのでしょう。森田のつぶやきも交え、以下にみてみましょう。
当て字例 | 正字 | 保存/訂正 | 保存/訂正の理由 |
---|---|---|---|
兇事 | 凶事 | 訂正 | 餘りひどい。體裁も好くない。 |
合衾の式 | 合巹の式 | 訂正 | 〃 |
手向 | 趣向 | 訂正 | 他の意味に取られては困る。 |
語呂の垢すり | 呉絽の垢すり | 訂正 | 〃 |
庭宅 | 邸宅 | 保存 | 無頓着から来たものであることは明白。使ひ場所に依っては其儘で意味も通ずる。 |
辛防 | 辛抱 | 保存 | 意味も通ずる。 |
人世觀 | 人生觀 | 保存 | 〃 |
勘定 | 鑑定 | 保存 | 〃 |
必竟 | 畢竟 | 保存 | 先例が古書に幾許もある。 |
表1は森田により漱石の当て字とされた一部の例で、それらに対し、編集の際に加えた判断、その判断理由について私がまとめたものです。基本的には、明らかな誤字、読者に誤解が生じそうな用字については訂正を行うという考えがうかがえます。森田は、漱石の明らかな誤字について「餘りひどい」と厳しく批判する一方で、「何時かも嶄新を斬新と書くのは見慣れないと思つて直したら、後で斬新の方が正しいと解つて、大いに狼狽へた」という逸話を紹介し、漱石を「あれだけ漢學に達した人」と畏れています。
また、「かんしゃく」を【肝癪、疳癪、癇癪】、「りょうけん」を【了簡、料簡、了見】、「じょうだん」を【常談、贅談、冗談、笑談、串戯】のように、一つの読みに対して複数の表記がみられる場合も「其儘保存して差支へあるまい」と判断します。読みと表記とがほとんどの場合一対一対応をなしている状態に慣れた現代の私たちにとって、森田の判断はよく言えば寛容、ともすると無造作と映りますが、実はこれらの表記にも先例があったり、熟語をなしている漢字の音が本来の正しい表記の字音とよく似ていたり、漢字の意味的側面が文脈によく合っていたりしたことから、漱石と同年代、またそれとやや前後する人々には違和感なく受け入れられていたのかもしれません。
さらに、次の例についてはどうでしょうか。「bucket」が【馬尻】、「ink」が【印氣】とあるところは、現代ではそれぞれ「バケツ」、「インク」のようにカタカナ書きされる場合がほとんどです。これらの例について森田は、「元來洋語に漢字を當嵌めたのだから、何んな字を當てた處で構はない」と述べています。副詞の「ぢかに」を【自家に】(現行【直に】)、(吝嗇な意味での)「ケチ」を【希知】とした表記についても、「俗語に漢字を當嵌めたもので、こんな剽輕な字を當てたところに一種の面白味さへ出て居る」と述べ、「切齒つまる」に至っては「此當字が當つて居るか居ないかは別問題として、第一に見て面白い」と漱石の文字遣いに対してかなりの心酔ぶりを発揮し、さすがに現代の私たちの感覚とはズレを感じてしまいます。
このように、漱石の文字遣いに対する森田の考え方、評価を眺めてみますと、弟子として師・漱石をいかに崇拝したかがうかがえます。ただそれと同時に、漱石の文字遣いの一部を「當字」とみなし、それを「滅多矢鱈に使」ったと表しているところは、現代の私たちが感じる違和感の兆しなのかもしれません。