ことばの疑問

日本語の母音は本当に五つしかないのですか

2019.03.05 竹村明日香

質問

日本語の母音は本当に五つしかないのですか。

日本語の母音は本当に五つしかないのですか

回答

日本全国で通じる現代日本語(いわゆる全国共通語)に限って言えば、母音は /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/(アイウエオ)の5つしかありません。全国共通語は東京のことばが母体ですが、東京に限らず日本の多くの地域では /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/ の5母音体系になっています。

なお、ここで / / でくくって母音を書いたのは、音素としての母音であることを示すためです。音素とは、 “人が聞き分けられる最も小さな音” で、なおかつ “意味の違いを生み出す音” だと思ってください。例えば日本人は /i/(イ)と /e/(エ)を簡単に聞き分けられますし、この音の差が「胃」「絵」のように意味の違いにもつながっていますね。しかし実際の発音(音声。[ ] でくくって書く)では、 /e/ は、 [ɛ] や [e] など複数の音で発音されているにもかかわらず、耳には一つの /e/(エ)にしか聞こえません。このように、口では様々に発音していても、聞き分けられる(つまり音素としての)母音は現代日本語には5つしかないのです。

一方で方言の中には、母音が5つより多い方言、あるいは少ない方言もあります。母音が少ないことで有名なのは、 /a/、 /i/、 /u/(アイウ)の3母音しかない琉球方言です。琉球方言はさらに奄美方言・沖縄方言・先島方言に分かれていて、島ごとに言語差も激しいのですが、那覇市で話されている沖縄方言をはじめ広域で /a/、 /i/、 /u/ の3母音体系になっています。特徴は、全国共通語での /e/ が沖縄方言では /i/ になり、同じように /o/ が /u/ に変っている点です。元々は沖縄方言も5母音だったのですが、16世紀頃から「口蓋化(こうがいか)」という発音の際に舌が上昇する現象が起こり、 /e/ と /o/ がより高位置にある /i/ と /u/ に合流してしまいました(【図1】参照)。

母音の発音(全国共通語のエの音が、沖縄方言ではイに。オが沖縄方言ではウになっている)
【図1】母音の発音

したがって沖縄方言では、「雲」は [kumu] (クム)、「根」は [niː] (ニー)と発音します。身近な例でいうと、沖縄料理で「すば」や「ジーマミ豆腐」という料理名を見たことはないでしょうか。あれも母音の影響により、「蕎麦(そば)」のソがスに、「地豆(じまめ、ピーナッツのこと)」のメがミに変ったものなのです。

他に、石垣島や宮古島が属する八重山方言・宮古方言(先島方言に含まれる)では、 /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/ に、舌の中間位置で発音する中舌母音 /ï/ が加わった6母音体系になっています(例 : 頭 [tsïburï] )。これは /e/ → /i/ の変化に合わせて元々 /i/ だったものが /ï/ に推移したと考えられています。奄美大島や徳之島の奄美方言では、中舌母音の /ï/ と /ë/ も加わった /a/、 /i/、 /ï/、 /u/、 /e/、 /ë/、 /o/ の7母音体系と言われています(例 : 目 [mï] 、前 [mëː] )。

他方、歴史を振り返ってみると、奈良時代以前には母音が5つより多くあったとも言われています。これには「上代特殊仮名遣い」が深く関わっています。上代特殊仮名遣いとは、キヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロと、これらの濁音でのみ2グループ(甲類・乙類)に書き分けられる仮名遣いのことです。

上代仮名遣い(キの例)雪のキと月のキは、混同されない
【図2】上代特殊仮名遣い(キの例)

【図2】を見て下さい。例えば当時の「キ」は、伎・吉・城…などたくさんの万葉仮名(漢字の音訓をかりて日本語の音を表記したもの)で書かれているのですが、〈雪〉のキは「伎」「吉」のように必ず甲類の文字で書かれており、反対に〈月)のキは「奇」「紀」のように必ず乙類で記され、甲類・乙類が混同されることは決してありません。キヒミ・ケヘメ…の音の数は非常に多いのに、なぜここまできっちりと2グループに書き分けられたのでしょうか。それは、古代人が一語ずつ字の違いを覚えて書いていたからではなく、音素に基づいて書いていたからなのです(現代日本人が /i/ と /e/ の音素を簡単に聞き分け、書き分けられるのを想像して下さい)。

当初、この甲類・乙類の差は母音の違いだろうと考えられ、甲類に /i/、 /e/、 /o/、乙類に /ï/、 /ë/、 /ö/ を想定し、これに /a/、 /u/ を加えた8母音説が提出されました。しかしこのような母音体系は言語として存在しがたいことなどから反論され、6母音説や5母音説が新たに提唱されます。6母音説では、イ段・エ段の母音は /i/、 /e/ ととらえ、前の子音が口蓋化している(=舌が上がって発音している)かどうかが甲類・乙類の差に関わっていると推定します(甲類 : /kji/、 /kje/、乙類 : /ki/、 /ke/ )。しかしオ段だけは /o/ と /ə/ の音素差ととらえるため、合計 /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/、 /ə/ の6母音となります。5母音説は現代と同じ /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/ の5母音だったと考える説です。この説も、イ段・エ段については6母音説と同じように解釈しますが、オ段は /o/ の一つであり、甲類・乙類は音声の差にすぎないとみなしています。この他にも、当時の中国漢字音から万葉仮名の音を推定して7母音説を唱える立場や、別のアプローチから6母音説を示す立場もあります。

奈良時代のカ行音(推定)【例】奈良時代のカ行音(推定)

今日では8母音説はほとんど支持されていませんが、定説となっている説もまたありません。この上代特殊仮名遣いは平安時代に消滅します。よって5母音になったのもこの頃からと考えられます。

ところで、5母音の言語というのは、世界の言語から見ると珍しい方なのでしょうか。実は /a/、 /i/、 /u/、 /e/、 /o/ の5母音は音の体系として安定しており、世界の言語の中で最も多いと言われています。英語や中国語に比べると数が少ないように思えますが、母音が5つというのは言語一般から考えるとありふれたことなのですね。

書いた人

竹村明日香

竹村明日香

TAKEMURA Asuka
たけむら あすか●お茶の水女子大学 准教授。
専門は日本語音韻史。キリシタン資料や方言資料などから日本語の変遷を追っている。論文に「『日葡辞書』の開拗長音」(『国語国文』81-3、2012年)、「九州方言エ段音節の再検討――中世日本語エ段音節の再構に向けて――」(『日本語の研究』9-2、2013年)、「月経を表す「手桶番」の語源――上方落語『鮑のし』の語源説を起点として――」(『国語語彙史の研究』36、2017年)など。

参考文献・おすすめ本・サイト

初学者向け

  1.  斎藤純男(2006)『日本語音声学入門 改訂版』三省堂
  2.  飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編(1984)『講座方言学10沖縄・奄美地方の方言』国書刊行会
  3.  森博達(1999)『日本書紀の謎を解く――述作者は誰か――』(中公新書)中央公論新社

専門的に学びたい人向け

  1. 大野晋(1974)『日本語をさかのぼる』(岩波新書)岩波書店
  2. 中本正智(1976)『琉球方言音韻の研究』法政大学出版会
  3. 服部四郎(1976a)「上代日本語の母音体系と母音調和」『月刊言語』5-6
  4. 服部四郎(1976b)「上代日本語の母音音素は六つであって八つではない」『月刊言語』5-12
  5. 早田輝洋(2017)『上代日本語の音韻』岩波書店
  6. 松本克己(1995)『古代日本語母音論――上代特殊仮名遣いの再解釈――』ひつじ書房
  7. 森博達(1991)『古代の音韻と日本書紀の成立』大修館書店

※母音説については、1→6→3→4→7→5の順で読むと議論の道筋がつかみやすくなります。