外国で生まれた新しい概念を表すために外来語の使用が増えている面もあるようですが、そういった外来語を使う際の注意点は何でしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
外国から入ってきた新しい概念を伝えようとするとき、日本語に適切な言葉がないことも少なくありません。このような場合にどう対処するべきかを、「スローフード」という言葉を例に考えてみましょう。
「スローフード」は、元々は、「ファーストフード」(注文してすぐ食べられ、また持ち帰りのできる食品)に対する反対概念を指す言葉として作られました。1986年に、北イタリアのブラ(Bra)という町にハンバーガーショップが進出したのをきっかけに、多忙な現代人の食生活を見直す「スローフード運動」が始まったのが起源と言われています。
現在、この運動は、かたつむりをロゴに使用する「スローフード協会」によって世界に展開されています。現在、スローフード協会の支部は世界45カ国に存在し、会員は8万人以上に上るとされています。日本にも32の支部があり、会員は約2,200人いるそうです。スローフード協会の活動指針として、(1)「郷土料理や質の高い小生産の食品を守ること」、(2)「良い素材を提供してくれる小生産者を守ること」、(3)「消費者に味の教育を進めること」の三つが掲げられています。
さて、「スローフード」を日本語に訳そうとすると、適切な既存の日本語訳がありません。「ゆっくりした食べ物」と直訳することは無意味でしょう。だからといって、単にカタカナ書きにするだけで済ませてしまうことにも問題があると思われます。なぜなら、「スローフード」という言葉だけを見聞きした場合、単に「ファーストフードの反対語」という理解がなされ、「注文した後時間をかけて調理して提供される料理」という意味だととらえられてしまいそうだからです。これでは、格別の興味を喚起することもなく、上に述べたような、「スローフード」という言葉に込められている意味の広がりを伝えることは難しいと考えられます。
そこで、関連する概念を表し得る別の言葉での言い換えや説明といった方法が考えられます。「スローフード」で具体的に考えてみましょう。
第1は、「地産地消」という言葉です。これは「地元生産、地元消費」を略して作られた言葉で、その土地で採れたものをその土地で消費することを指します。「スローフード運動」の(1)(2)の指針に関連します。例えば、給食において地場の食材を使おうという運動や、地域の自給率を高めようとする運動において、農林水産省をはじめ、自治体の多くがこの言葉を使い始めています。
第2は、「食育」という言葉です。元々、「食育」という言葉は明治時代以降、体育や知育と並ぶものとして用いられた言葉だそうです。言葉そのものに教育色があるため「スローフード」と語感に差は感じられますが、「スローフード運動」の(3)の指針と重なるものです。現在、内閣府には「食育推進室」が設置されています。2005年6月には第162回国会で「食育基本法」が成立し、同年7月から実施され、この言葉が使用される機会は急速に増えています。
「地産地消」と「食育」のいずれも、まだ市販の国語辞典に掲載されていない、なじみの薄い言葉ですが、字面からおおよその意味はくみ取れます。例えば、「スローフードとは、生産された農産物を地域で消費し、農業者と消費者とを結び付けようとする「地産地消」や、食生活を見直し豊かなものにするための「食育」を進める運動である」などと説明に活用することができそうです。新しい概念を表す外来語を使用する際には、このように、新しい概念の基本的な考え方に着目して、類似の概念の言葉を広く探し、精選吟味して用いるといった表現の工夫が望まれます。場面に応じて、可能な限り丁寧な説明を添えた上で、例えば「スローフード」のような語を導入すれば、新しい外来語にも生命が宿ると思われます。
(柏野和佳子)