明治期には新しい訳語が多く作られたそうですが、現代も同じように訳語の新造をすすめていくのがいいのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
西欧文明に直接触れることになった幕末や明治期には、外来語の扱いはどのようだったのでしょうか。
江戸や明治の知識人は、漢学の素養の上に蘭学や英学を修めました。彼らは、既に漢文に翻訳された新知識を吸収して活用し、あるいは西洋語から日本語へ直に翻訳して、新しい概念や知識を紹介しました。その際に新規に翻訳語を作る工夫もしました。
例えば、現代日本語になくてはならない「科学」や「哲学」といった抽象概念語がその典型です。英語と日本語の対訳用語集の形をとる『哲学字彙』初版(1881(明治14))で、「science」の訳語として「科学」が、「philosophy」の訳語として「哲学」が現れます。
また、漢語として、元からあった「芸術」は、現代でいう「技術」や「工芸」の意味で用いられていました。同様に、古くは広義の「美術」が使われていたところを、近代的な意味の訳語としては「芸術」を用いるようになりました。このように、訳語や漢語の意味・用法に変化の見られる例もあります。
さて訳語「哲学」は、後の『哲学字彙』第三版(1912(明治45))の注に、その「ことば」の履歴(語史)が明らかです。オランダ留学から帰朝し西欧文明を紹介した蘭学者、西周(1829(文政2)~1897(明治30))の造語だったこと、既にあった “東洋の哲学” である儒学とは別の “西洋の哲学” という意味で、「哲学」を当初は用いたこと、が示されています。
しかし、この「哲学」という訳語は最初から一つに精選されたのではなく、翻訳者や文献によって「理学」「窮理学」「希賢学」「希哲学」などと、今ではすたれてしまった訳語も存在しました。
一方、元々中国で用例のあった漢語で、訳語としての新しい役割を担って、結果的に、その新規の訳語の用法が主人公になったものがあります。「社会」という漢語は、中国宋代の文献に既にあります。日本では近代的な「society」の訳語として用いられました。結局、その訳語「社会」の概念と用法は、逆に中国に紹介されるに至りました。
これらは現代でも、物事の根幹を表す重要な抽象概念語です。当時新規の概念や知識として、次々と短期間に訳語の工夫がなされました。それは、より早くより深く、知識社会に浸透したに違いありません。が、一般への直接の影響は定かではありません。
一方、現代もこれに倣って、新規の外来語に対して、次々に訳語を新造すればいいでしょうか。現代社会の外来語に接する人々の層の厚さや広さは、知識階層に限られていた明治期とは比較にならず大規模です。一般社会への情報伝播も、マスメディアを通じて一気に広まるなど、事情は大いに異なります。
現代日本語において、分かりにくい外来語を言い換えたり、別語を言い添えたりして、上手に外来語を使ってゆこうとするのと、新造の訳語を案出して新規の概念や知識を定着させようとするのとでは、その目的や意識が異なります。既に日常の言語生活に流入・氾濫・混乱している外来語に対応するのと、新規に専門用語や新しい概念の輸入を積極的に意図的に行ったのとでは、おのずから方策も異なるべきと言えます。
(山田貞雄)