「ありよりのあり」とはどういう意味で、どう使うものですか。
若者言葉として多くの人に知られるようになった「ありよりのあり」ですが、今なお、その表現そのものに疑問を持つ人は少なくないようです。それもそのはず、「あり」は、状態動詞「ある」の連用形の名詞化で「あること」を表し、「ある」と「ない」は、反義関係にある対義語のペアで、「両極的反義」と呼ばれていて、「片方の否定が他方を指し、中間の段階が考えられない」(国広哲弥「類義語・対義語の構造」、p.167)とされています。したがって、あたかも、「ある」に段階性があるかのような「ありよりのあり」に疑問を感じるのは無理もありません。
とはいえ、両極的反義語のペアに絶対に中間段階が認められないのかというと、そうとも限りません。「出席・欠席」を考えてみましょう。学校の授業で、「出席でなければ欠席」「欠席でなければ出席」のはずですが、現実には「遅刻」や「早退」をすることもあって、これを出席とするのか欠席とするのか、はたまた、そのどちらでもないとするのか、それは、どの段階で教室にいることを出席とみなすかによります。このように、現実世界の状況に即してもともと中間段階がないはずの「出席○」「欠席×」に「遅刻・早退△」という中間段階を認めることになるのです。そう考えると「あり」に段階性があっても、それほど不思議なことではありません。
さて、「ありよりのあり」の意味ですが、段階性を認めるだけでは説明がつかない側面があります。「実用日本語表現辞典」(辞書サイト)では、「ありよりのあり」について、「あり」と「なし」で是非を評価する場面において、「なし」要素を含まない・匂わせない「あり」、すなわち全面的に肯定的な「あり」の意味合いで用いられる若者言葉と定義しています。この「是非を評価する場面」という記述を考慮すると、「ありよりの…」の「あり」は、単なる存在ではなく、その存在を「認める(=是と評価する)」ことを意味していることになります。これを「あり」の「認め用法」と呼ぶことにします。
この認め用法は、「あり」単独で持っている用法です。
どちらも相談サイトに2005年に見られた例で、そういう行為を認めていいかどうかの相談や、そのような相談への回答の中で使用されています。認め用法の「あり」が使われる背景には、少し大げさですが、認めていいかどうかの葛藤があります。(2)のようなタイヤの交換の話であれば、問題ないことが確かめられれば事足りるのですが、(1)のような彼女がいながら別の女性と飲みに行くという、心に迷いがある相談の場合、その迷いを払拭してくれる答えがほしいところです。単に「ありですよ」と言われるだけでは、安心できず、「悪い要素などどこにもない」と言ってほしい、そんな気持ちに応じるように「ありよりのあり!」が生まれたのではないでしょうか。「ありよりのあり」がツイッター上で最初にみられるようになったのは2010年頃という報告(NHK 生活情報ブログ、https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/news/298443.html)がありますが、「あり」単独の認め用法が「ありよりのあり」誕生の源になっているのではないかと考えています。
さて、以下の(3)〜(6)の例は、ツイッター上の内容に基づいて筆者が作成したものですが、このうち、(3)(4)は先の辞典の定義にあった全面的に肯定的な「あり」の意味合いで用いられています。
一方、(5)(6)は、全面的肯定というよりも可能性が高いという意味で使われています。
(3)(4)の「あり」は認め用法ですが、(5)(6)は、「可能性がある」「兆しがある」の存在を表す「ある」が「ありよりのあり」に置き換わったものです。存在の「ある」が「ありよりのあり」と表現された場合、全面的に肯定というよりも、存在する可能性が高いことを表すように思われます。
以上のことは、「ありよりのあり」には、(A)全面的に肯定する、という意味と、(B)存在する可能性が非常に高い、という意味があり、(B)は、「あり」本来の存在の意味が現実世界の状況に対応する過程で、二者択一であるはずの存在に段階性が生じ、可能性が極めて高いことを意味する表現として生まれたもの、一方、(A)は存在の意味から派生した認め用法の「あり」が、現実世界の要請(存在を認めていいかどうかの迷いを払拭したいなど)に対応する形で、全面的肯定の表現として生まれたもの、というふうにまとめられます。
「ありよりのあり」をそれらしく使うには、(A)を習得したいところですが、それには、認め用法の「あり」の使用に慣れる必要があります。若い店員さんに服のコーディネートを相談する場面で、思い切って、「このシャツにこのジャケットってあり?」と言ってみてはいかがでしょうか。「ありよりのあり!」と答えてもらったときの安心感を体験したら、わりとすんなりと言う側にまわることができると思います。
なお、若者言葉はうつろいやすく、「ありよりのあり」はすでに若者の間であまり使われていないという報告(マイナビ学生の窓口、https://gakumado.mynavi.jp/gmd/articles/54012)もあるようですから、無理して使わず、すたれるのを待つという選択肢もありよりのあり。