Vol. 15-2 (2026年3月公開)

毎週月曜日の昼休みになると、国立国語研究所のとある部屋にお弁当や飲み物を手にした人たちが集まってきます。
ご飯を食べながらトークを聞き、これを肴に雑談と議論を楽しむ「317カフェ」の時間です。今回は、317カフェの主催者の皆さんが、317カフェという研究交流の場について、そして議論とコラボレーションを主軸とする新しい研究文化について語り合いました。

窪田: そろそろ始めましょうか。今日は、2025年に新たに国語研のメンバーに加わった横井さんと磯野さんと一緒に、我々が共有している研究文化のようなものについて話していけたらと思っています。僕(窪田)、井戸さん、横井さん、磯野さんの4人で運営している317カフェは、我々が大事に思っている議論文化やボーダーフリーな文化がよく現れている企画だと思います。しっかり覚えていないのだけど、この317カフェというのは、どのように始まったんだっけ?
井戸: 「何か楽しいことをやりたいね」みたいな話からでしたよね。
窪田: そうそう、お昼を食べながら気楽におしゃべりできる場があればいいな、みたいな話から始まったんだった。で、次世代言語科学研究センターという組織が国語研に新しくできたし、新しい仲間も増えた良いタイミングということで、2025年4月から「317カフェ」という名前を付けて、えいやっ!と始めました。まずは僕が周りにいる人に声をかけて、そのうち他の人もゲストを呼んできてくれるようになり、それから横井さんがホームページをつくってくれて、皆で会の紹介や開催記録を少しずつ書き足しています。そんな感じで、自然発生的に立ち上がって、それぞれが勝手にできるときにできることをやって、みたいな感じで運営している会です。
この輪は、うれしいことに国語研の外にも広がっています。国語研の外の人がトークに来てくれて、「国語研で面白いことをやっているよ」と周りの人に話してくれて、それを聞いた人がまた参加してくれて……。これは当初期待していた広がり方ではあるのですが、想像以上にうまく回り始めました。これまでに、国語研の内外から20人以上がスピーカーとして参加してくれました。
ここまでは317カフェという特定のイベントについて話したわけですけど、分野横断的に少しずつ輪を広げていくという活動の仕方は、より広く我々の研究スタイルそのものといってよいと思うんですよね。なんでこういう研究スタイルに落ち着いたのかについては人それぞれに事情と背景があると思うので、まずは横井さんと磯野さんから、分野横断的な研究者になるに至った経緯を自己紹介してもらえますか。

横井: 理工系出身の私が人文系の国語研の門をたたくに至る経緯を話すには、たぶんここから話すのがわかりやすいと思うので、学部の頃の話から始めさせてください。自分は京都大学工学部の情報学科というところの出身です。ここに入った大きな理由の一つは、「推論の数理」を勉強してみたかったからです。我々人間は、理解したり説明したり納得したり、とにかく考える活動をしますよね。それを数学的に取り扱えたら楽しそうだなと思ったんです。もちろん、同じテーマに対して人文学的な方法で向き合うこともできるでしょうけど、当時の自分は、数学的にやる方が「きちんと」「遠くまで」いけるのではと思ったのですよね。この情報学科というところは、演繹推論の形式化である数理論理学も勉強できるし、帰納推論の形式化である数理統計も勉強できるので、「これはいいぞ」と思ったんです。
井戸: 理工系の前提を理解していないので聞きたいのですけど、「推論の数理」ってなんですか?
横井: 人間がおこなっている「推論」……、推論というのはだいぶ色が付いた言葉なので、もっと簡単に「考えること」でもよいのですけど。これについて、井戸さんや窪田さんがやっている形式意味論のように、形式的に数学語で書けるなら書いて、経験的な知見と照らし合わせて、非自明なことを見つけ出して……みたいな話をしましょう、という意味です。
磯野: アリストテレスから始まる論理学では、例えば「すべてのxについて、P(x)ならばQ(x)」という命題と「P(a)」という命題があれば「Q(a)」が導かれます。「人間は死ぬ、ソクラテスは人間である、ゆえにソクラテスは死ぬ」で知られる三段論法というやつですね。でも横井さんが興味があるのは、たぶんここではないですよね。人間がやっている「推論」には、こうした形式論理では捉えきれないぐにゃぐにゃした部分があって、その部分も含めて体系化したがっているように見えます。
横井: まさにまさに。ロジックも統計も自分にとってものすごく面白かったのですけど、とはいえ、少なくとも学部の講義で学べる範囲では、いずれも「離陸済み」の数学なんですよね。それぞれの分野の始まりには人間の演繹推論なり帰納推論なりがあったかもしれませんが、数理論理学も数理統計も、すでにこれらを高度に抽象化した数学であって、人間が日常的におこなっている推論の話では全然ないな、という違和感は強まる一方でした。初めて「これだ!」となったのは、つまり日常の実践としての「推論」について本当に語ってくれていると初めて感じたのは、伊勢田哲治先生による科学哲学の講義で科学的推論についての言及を聞いたときでした。仮に先にこちらの世界にはまっていたら今の自分はないですし、数理的な方からという順になって、長期的には良かったのではないかと思っています。その後、学部4年生になって機械学習の、つまり帰納推論の現代的な定式化の一つを扱う研究室に入ったわけですが、実践的な推論について演繹的な側面と帰納的な側面の両面を扱うことへの抗いがたい関心もあって、大学院では東北大学の自然言語処理の研究室に行くことにしました。
窪田: ちょっと待って。話が突然、自然言語処理に飛んだように見える。
横井: 自然言語処理は、離散的・決定的・演繹的な側面と、連続的・確率的・帰納的な側面の両方を自然に内包する面白い学問分野だと思ったんです。もう一つ、学部4年生のとき、興味に駆られて人工知能学会に突撃したのも良かったです。田然(Ran Tian)さんという当時東北大学におられた人が、連続的な空間で離散的な推論を柔らかく実現するという研究を発表されていて、いたく感銘を受けました※1。進学先として東北大学の自然言語処理の研究室を選んだ理由の一つは、彼がいたからです。
※1 田然、宮尾祐介「テキスト推論でセンター試験の歴史問題を解く」人工知能学会全国大会論文集 第28回(JSAI 2014)
横井: 大学院生活とその後数年の研究生活(2015~2024年)を経て、我々が日常的に用いている言語やこれを用いた広義の知的営為というものを丸ごとモデリングできるとしたら、それは経験的なアプローチと連続的・確率的な系の組み合わせなのではないかという直観が強まりました。もちろんこの考えは、深層学習ベースの自然言語処理とそして言語モデルの成功に大きく影響されていると思います。連続的な系は、視覚的な想像を助けてくれるという点も魅力的でした。自分は何かを理解したり議論したりする際、「絵」をたくさん描きたいタイプです。関係とか、あるいは長さとか、角度とか、とにかく視覚的に理解できると、「あ、わかった、うれしいな」となるのですよね。絵を描きながら理解したいという人は経験上研究者の半数くらいはいると思っているのですけど、今日この部屋にいる皆さんはどうですか?(ぱらぱらと挙手)あれ? 思ったより少ない……。
窪田: 我々は、本を読んでひたすら文章を解読して、といったことばかりやっていますからね。横井さんと話しているときに出てくる「幾何的にわかる」とか「高次元の空間で何かがとがっている」とかいう言い方、僕は実はこれを「横井語」と呼んでいるのですが、これって幾何的な概念に精通していない我々には、ちょっと理解しがたい。
横井: そこはおっしゃる通りだと思います。自分は視覚的な理解が好きすぎて、そういう「わかり方」の幅がちょっとでも広がりそうだと思ったら、新しい概念をどんどん勉強していて、結果として、私個人のうれしさに最適化された特殊なわかり方になってきている自覚はあります。もちろん、論文を書いたり他の人に説明するときは、自分の興奮ポイントを一般向けに激しく翻訳するようにはしていますけども。
井戸: 研究会などで他の人からわかりやすい絵で説明されると、「私は今いい感じに騙されているんじゃないか?!」と身構えてしまうところがあるんですが。
横井: 絵というのは、文章の単なる可視化でもよくて。例えば「AとBの関係はCとDの関係と同じようなものだ」という文章に、こういう絵(図1)が付記されていればうれしい、程度の気持ちです。

井戸: それも「絵」の範囲なんですね。そのくらいだと警戒心が薄まります。
磯野: 単語のシークエンスではないなら絵、ということですよね。木構造(図2)も絵ですよね。
横井: 木構造も、もちろん視覚的な表現の一つだと考えています。絵の話が思いがけず盛り上がってしまいましたが、とにかく、大学院生活とアーリーキャリアの研究生活を過ごすうちに、経験的なアプローチや幾何的なアプローチを主軸に言語科学のようなことをするのはだいぶ面白いぞ、となったわけです。ようやく「なぜ学際的な芸風に?」というフリをオトせるわけですが、こういう立場の人間にとって、人文系の知見、特に言語学者や哲学者の知見は宝の山に見えています。乱暴な発言が許されるなら、超賢い言語学者や言語哲学者たちがこれまで主張してきた経験主義的なテーゼを数理科学化や実験科学化できる、またとない機運だとすら思っています。これが私がこの研究所に来た動機の一つです。

磯野: 僕は逆に、どちらかといえば人文系の伝統から出発して、今は数理寄りのことも知りたいなと思っている者です。中学生ぐらいから、言語学に興味がありました。一つのきっかけは、文法の授業のときに五段活用や上一段活用といった動詞の活用を覚えさせられるのがつまらなくて、ローマ字で落書きをしていたんです。すると、活用の種類の違いは動詞の語幹が子音終わりか母音終わりかによるのだと気が付きました。言語には普段意識しない仕組みがあるんだと気が付いたんですね。横井さんの重視する連続性・確率性よりも、離散的なシンボルの中の決定的な規則性に僕が今でも注目しがちなのは、それが始まりだったからかもしれません。
窪田: それを自分で発見したというのはすごいですね。今思い出したけど、僕は中学の先生が初めからローマ字で教えてくれたので「ふーん、なるほど」で終わってしまった。
磯野: どこまで教えちゃうかって良し悪しですよね。ただ、高校生で進路選択をする段階では、言語研究を職業にするというのは現実的なイメージが湧きませんでした。それで、社会を良くしていこうと考えて法学部に入り、NHKの記者になりました。記者の仕事は、現場を取材して、アナウンサーが読む原稿を書くことです。できるだけわかりやすく、と言われるのですが、絶対的な基準はありません。それでも、みんなに共通する感覚があります。では、わかりやすい文とは何か。それが気になり始め、記者としての自分に限界を感じたこともあり、4年目に退社して大学院に進んだのです。
文の理解しやすさに関心があったので、実験心理言語学の研究室に入りました。一つ一つの文に注目して、要素を並べ替えたときに、どういう順番がわかりやすいか、といったことを実験で調べ始めました。被験者に文を少しずつ提示しながら読んでもらい、それぞれの要素にかかる「読み時間」を計測することで、より読みやすいのはどういう順序かを調べたりしていました。
窪田: わかりやすい文章を考える場合に、接続詞の使い方みたいな談話的な側面でなく、主語と目的語の順番みたいな文法的な側面に注目するというのは、ちょっと意外ですね。なんでそこに着目するの?
磯野: 文法自体にもともと関心があったというのが一つの理由です。でもそれだけではなくて、ニュースって伝えなければいけない内容自体はある程度決まっているので、実際に記者も並び替えで結構悩んでいるんですね。それに、今窪田さんに指摘されて気付いたのですが、ニュースの原稿って接続詞をあまり使わないんです。一つのニュースは長くても2分ほどですし、「しかし」みたいな逆接は特に伝える側の主観が入りやすくなってしまうので。
窪田: 面白いですね。記者のときの経験が大学院での研究と結構直接的につながっているんだ。
磯野: はい。ところが、実験の結果を論文にするには、その結果を生み出した人間の言語処理システムについても考察をしなければいけないわけですが、言語処理システムについての仮説をきちんと形式化しないと、いわばなんでもありになってしまって、説得力がないということが、僕の中で問題になり始めました。それで、実験をおこなうだけでなく、理論言語学や計算言語学も学ばなければいけないと、別の研究室にも顔を出すようになったのです。
実験心理言語学や理論言語学、計算言語学については、僕よりずっと深いことをやっている専門家がたくさんいます。僕の特徴は、それらをつなぐことで新しい価値を見つけようとしていることです。例えば、大規模言語モデルの登場によって理論言語学はもう終わりだと言われることもありますが、実証的なデータとつなげたり、数理的に捉え直したりすることができるのではないかと考えています。

窪田: 317カフェの大きな目的の一つは広いつながりをつくることですが、僕がこのカフェで一番楽しいなと思うのは、今日のように「私は何者か」を話してもらうことなんです。その人が現在の研究トピックや研究スタイルに至るまでにどんな紆余曲折があったのか、どんなことを考えてきたのか、何に興味があるのか。「何者か」がわかってこそ、議論が進み、コラボレーションが生まれ、面白い研究が出てくると僕は思っているんです。「私は何者か」シリーズはもう10回もやっています。
横井: 窪田さんのように理論言語学をされている人たちと、自分のように相対的に数理科学方面から来ている人たちは、文理という意味では一見真逆の分野の出身なわけですけど、興味ベースで集まって議論しながら研究を進めるという点で、思った以上に似ていますよね。317 カフェの運営の仕方も、議論重視、コラボレーション重視という点で、この種類の居心地の良さがあります。
磯野: 喧嘩上等なのが317カフェの良いところです。言語に関心がある研究者同士でも、人によって世界観がすごく違うんですよね。「異分野でコラボレーションをしたら、お互いの良いところが掛け合わさって面白い研究ができました」という簡単な話ばかりではありません。議論していると、自分たちの前提が覆されそうにもなります。例えば次世代言語科学研究センターに来て半年くらいは、木構造を出すたびに、いちいち「またか」と突っ込まれるみたいなことがあって。やや、つらかった時期です。
窪田: つらかった!? なぜ?
磯野: いや、「木を使う」っていうだけで突っ込まれることって、これまではなかったんですよ、言語学の中で生きていると。でも、そういう前提を揺さぶられるような議論もだんだんと楽しくなってきました。
横井: お互いの信念やアイデアをぶつけながら研究の種を育てていくのは楽しいですよね。そういえば、ここに着任して1週間後ぐらいに窪田さんとお会いしてご挨拶したとき、「横井さん、喧嘩は好きですか?」といきなり聞かれました。ほぼ初対面でそんなこと聞くなんてかなり変な人だなとは思ったんですが(笑)、「議論は好きですか?」以外の解釈はなかろうと判断して「大好きです」と答えたことをよく覚えています。
窪田: そこから話し始めて、それが2024年度末にやったシンポジウムの企画につながりましたよね。

横井: コラボレーションとはまた別の自分の研究上の趣味として、一つのシンプルなアイデアで多くの対象についてわかりにいく、あるいは多くの問題を一気に解く、というのがあります。いろいろな道具を持ち出して一つの問題を解くのではなく。もう一つ別件で、「面白いことを」「ちゃんとやる」、この両方やるのも強い趣味です。人生は短いので面白くないことには手を出したくないし、手を出したからには中途半端は嫌です。
井戸: シンプルなものがいい、というのは意外と理論言語学者が目指しているところと近いかも。なんかちょっと意外ですね。自然言語処理がご専門と聞いて、とにかく動くものをつくろうみたいな工学寄りの研究をされているのかと思っていたので。ところで、私もつい面白いことばかりやっていたいと思うタイプですが、そうすると現役の研究者でいられるのかというジレンマはありませんか?
横井: 自然言語処理ももちろん分野の中はカラフルで、おっしゃるように工学的な関心を持っている人が多数派だと思います。一方で、自分のようになんらかの対象についてわかることに興奮する人も一定数います。それから「面白いことをやっていて生き抜けるのか」という心配は、今のところはないです。理由の一つは、自分は超楽観的で、しかも立場や世間体への興味がどうも薄いっぽいんですよね。生き抜けるかどうかみたいなことを、あまり考えたことがなくて。あと、学部4年生で在籍した機械学習の研究室でボスの鹿島久嗣先生や兄弟子の梶野洸さんから、研究とはどういうものなのかをたたき込んでもらったことが大きいです。なんというか、査読を通すことに関しては技術だと思っていて。論文や研究プロポーザルのライティングについても東北大学時代のボスの乾健太郎先生からたたき込まれて、これも今は技術だと思っています。なので、面白いことをやって、ライティングを頑張りましょう、というスタンスです。
窪田: 査読を通すことや研究計画の作文は技術だというのは激しく同意します。まあ僕は、ほんとにただひたすら好きなことだけやってきたので、たまたま運が良かったから生き残れたようなものだけど。で、もうテニュア取っちゃったから俺の勝ちだ、みたいな感じ……。横井さんの分野である自然言語処理は競争が激しい世界だから、その中で面白いと思うことだけをやり続けてちゃんと業績を出すというのはすごいなと思います。
横井: まずはラッキーですね、ありがたいです。それから戦略的な面もあります。まず研究職という職業と自分の各種適性がフィットしているかどうかは、めちゃくちゃ考えました。自分の適性と趣味にフィットした場をつくる活動もたくさんおこなっています。皆さんにもお越しいただいている「NLPコロキウム」というオンライントーク会を立ち上げたのも、他ならぬ自分自身がそういう場を欲しかったからです。あとは、米国や中国が得意とする、大規模な予算と人員を投下する超ビッグサイエンスな、あるいは皆が好んでやるようなタイプの研究は避けています。そうしたトピックの中にも自分が面白いと思うものもあるのでしょうが、やりません。というか、仮にですが自分が考えることに向いた頭を天からもらって生まれてきたとして(笑)、その力は、放っておいても他の人がやることに使うのではなく、自分しかできないことに使うべきなのかなと思っています。
窪田: 日本ではそういうこと言うと鼻持ちならない奴だって陰口たたかれるけど、それって当然の義務ですよね。
磯野: 自分が面白いと思うことをやるというのは、僕も譲れません。タガが外れたオタクのように見えるかもしれませんが、そういう人が考え続けたら、言語についてなんらかの真理を明らかにできるのではないか。そして、それがいつか役に立つだろう。そういう信念を持っています。
窪田: お二人とは、好奇心ドリブンで研究をやっているってところで話がスッと通じる感覚があります。これをベースにしてお互いの興味・関心を深掘りしていく、みたいなコラボをしていきたいですね。

窪田: 磯野さんは、このカフェで始まったコラボレーションが進行中ですよね。
磯野: はい。昨年6月のカフェで、横井研の山本悠士さんが発表したとき、彼が「ある種の言語モデルの内部状態は時間の流れのように解釈できる」とおっしゃったのです。彼は文の区切りを観察していて、それを僕が扱っている読み時間のデータと組み合わせたら面白いのでは? とカフェの参加者から言われて、じゃあやってみますか、となって。分析はほとんど終わっていて、論文にしようとしています。「317カフェ」発のコラボ研究成果としては第1号です。
横井: これからどんどん出ていくであろう論文の謝辞に、「317カフェ」を入れていきたいですね。
磯野: もちろん入れていきましょう。僕は、経歴からもわかるように、数理系の教育を体系的に受けてきていません。一方、山本さんは数理系のしっかりしたバックグラウンドがあります。正直なところ、僕は彼の言っていることを全部理解できているか怪しいです。山本さんは、数式で伝わらないことをもどかしく感じているでしょう。でも、それも含めて楽しいですし、こうして論文にするところまで来ました。317カフェが掲げる「議論重視、コラボレーション重視の新しいアプローチ」というのは、お題目ではない、実際にできるんだ、ということを示せたのは、うれしいですね。これからも国語研内外のいろいろな人と議論し、コラボレーションしていきたいです。
横井: コラボレーションが発生する場や環境自体も増やし、そして広げていきたいですね。自分は国語研を、議論が好きで好奇心ドリブンな大学院生や研究者たちのたまり場、地上の楽園の一つにしたいと思っています。理工系の文化である「ラボ」を立ち上げているのもこの一環です。ぜひお互いのネットワークをつなげながら、皆でじわじわと輪を広げていきましょう。
窪田: ちょうどこの間、井戸さんと国語研をユートピア、つまり研究活動にひたすら純粋に喜びを見いだす変わり者たちの理想郷にしていきたいね、という話をしていたところでした。横井さん、磯野さんとも意見の一致をみたので、皆で新しい研究文化をつくっていきたいと思います。
国立国語研究所 准教授
京都大学工学部情報学科卒。東北大学大学院情報科学研究科システム情報科学専攻修了。博士(情報科学)。同助教を経て2025年1月から現職。言語データや言語モデルの統計的・幾何的な特徴付けや、経験主義的な言語学・言語哲学の知見の再定式化に興味。
国立国語研究所 助教(テニュアトラック)
東京大学法学部卒。NHK記者を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修了。博士(学術)。2025年4月より現職。文法理論ベースの文理解モデリングに取り組みつつ、ニューラル言語モデルの研究者との共同研究もおこなう。