ことばの疑問

平仮名は誰が作ったのですか

2019.04.05 矢田勉

質問

平仮名は誰が作ったのですか。

平仮名は誰が作ったのですが

回答

平仮名は、誰か一人が作ったというものではありません。江戸時代までは、空海が作ったということが広く信じられていましたが、ありえないことです。

空海は、弘法大師とも呼ばれる平安時代初期(774年生~835年没)の僧侶で、遣唐使を経て、真言宗の開祖となりました。鎌倉時代以降に、いろは歌を作ったのが空海だという俗説が生まれました。いろは歌が出来たのは空海の時代よりだいぶ後のこと(11世紀)ですから、それもありえないことですが、いろは歌は、その内容が仏教の重要な考え方である「無常観」を大変簡潔に表したものと読めるので、日本を代表する僧侶である空海が作者だと考えられるようになったのです。

いろは歌

このいろは歌は、平安時代末期以降(明治時代初めに至るまで)、子供がはじめて平仮名を習うときの手本として使われるようになりました。それでやがて、いろは歌だけでなく平仮名までも、空海が作った、と信じられるようになったのです。その理由には、空海が中国人さえ舌を巻いた書の名人としても知られていることが関わっているに違いありません。

ちなみに、片仮名のほうは、やはり江戸時代まで、吉備真備という奈良時代の公卿が作者と考えられていました。この人も、遣唐使として中国に渡り、その才智で中国人を驚かせたという様々な伝説を持っている人です。

さて、平仮名を作ったのが個人ではないとして、どういう人「たち」が平仮名を作ったのでしょう。平仮名というと、女性の文字のイメージがありますが、誕生したての頃の平仮名の資料で、明らかに女性が書いた、という証拠があるものは一つもありません。平仮名に女性のイメージが付いたのは、平仮名が文字として成熟してからのち、女性、特に宮中に仕える女房と呼ばれた人たちによって、日記や随筆や物語といった平仮名で書かれた文学が花開いたためでしょう。でも、それは平仮名そのものの誕生とは別の話です。

平仮名は女性の文字というイメージ?

いっぽうで、初期の平仮名の資料には、男性が書いたことが明らかなものはいくつか存在しています。「有年申文(ありとしもうしぶみ)」と呼ばれている資料はその一つです。これは、現在は東京国立博物館に所蔵されていて、書かれた年代が明らかなものでは最も古い平仮名の資料でもあります。讃岐介という職(今で言えば香川県の副知事でしょうか)にあった藤原有年という男性貴族が、貞観9(867)年に書いたもので、漢文の中に平仮名が混ぜられています。その他にも、円珍(814年生~891年没)という僧侶が最晩年、病床で書いた手紙「円珍病中言上状」(園城寺蔵)の末尾にも平仮名を混ぜて書かれた文が見えます。

有年申文
「讃岐国司解有年申文」(東京国立博物館 所蔵) 文字部分を抜粋
出典 : http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0008421
東京国立博物館研究情報アーカイブズ

平仮名というと、もう一つ、漢字や漢文が書けないような人たちの文字、というイメージもあるかと思います。これも、後の時代の平仮名についてはそういった側面もなくはないのですが、平仮名を生み出したのがそういった人々であったとは言えません。誕生したての時期の平仮名の使い手たちをみると、藤原有年は、トップクラスとは言えませんが、いわば実務官僚ですし、円珍に至っては、平安時代の天台宗を代表する高僧の一人です。むしろ、漢字を使いこなせないような人たちに、漢字から独自の文字を生み出すことが出来たと考える方が不自然でしょう。

平安時代の平仮名の使い方には一つの特徴があります。それは、基本的に書いた年月日が書かれない、ということです。書き手の名前が書かれないことも普通です。漢文で書かれた文書では、そういうことはありません。「有年申文」の年号が分かっているのは、この文書が、漢文で書かれた文書の添え書きのようになっていて、本体に当たる漢文の文書に年月日が書かれているからです。漢文の文書が、いつ誰が書いたのかを明らかにして、後々の証文となるように配慮されているのに対して、平仮名で書かれたものは、そういった配慮の必要がないような、例えば私的なやりとりなどに使われたのだと考えられます。誕生したての平仮名は、そのように、後々まで証拠として取っておかなくてはいけないようなものではないところで使われていたと考えられます。ですので、現在まで伝わる資料は極めて稀なのです。

2014年に、京都の藤原良相邸跡という遺跡(9世紀)から、宴会などに使われて廃棄されたと思われる土器に、墨で平仮名が書かれたものが数多く出土したことが明らかになりました。平仮名は初め、そういう「消費される文字」だったのです。

ひらがなと僧

まとめますと、平仮名をはじめに作ったのは、個人ではなく、平安時代9世紀中頃の都にいた、おそらくは男性たちであったと思われます。それも、漢字が書けないような人々ではなく、少なくともそれなりに漢字を使いこなせる人たちの間から、公式でない用途のために発生してきたのだと考えて良いでしょう。

実は、平仮名の誕生以前、万葉仮名の時代にも、誕生したての頃の平仮名と同じような用途の資料、たとえば私的な手紙(正倉院文書の中の万葉仮名文書)や土器の落書き(飛鳥京跡苑池遺構出土の刻書土器)がありました。そうしたものがやがて平仮名に変わっていったのだと思われます。その時期がなぜ9世紀中頃だったのか、その正確な答えは今後の研究に求められていますが、紙以上に木簡が書字の料として多く使われていた時代から、木よりもなめらかな運筆に適する紙がより普通になった時代へと移行したことが、関係しているかもしれません。

書いた人

矢田勉

矢田勉

YADA Tsutomu
やだ つとむ●東京大学大学院 総合文化研究科 准教授。
1969年千葉県生。専門は国語文字史・表記史。古代から近代までの、仮名文と変体漢文のそれぞれの展開と交錯の経緯、また日本人の文字観の変遷を総合的に明らかにすることを目指している。主な著書に『国語文字・表記史の研究』(2012,汲古書院)。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 小松茂美 (1968) 『かな その成立と変遷』 岩波書店
  • 築島裕 (1981) 『日本語の世界5 仮名』 中央公論社